風力発電は道徳を否定する。

祈りの仏教、制度の儒教、日本の「神ながらの道」神秘主義、道徳の源はどこにあるんだろうか。キリスト教ならモーゼの十戒とかね。日本人にはイスラム教やヒンズー教は馴染みがないから、どこかで道徳観みたいな認識ができたはずなんだよ。じつはh23年の12月から、風力発電の被害を訴え出してから、人々の精神性に不思議な歪みがあることに気が付いている。その時の時代感覚を思い出してもらいたい。

京都議定書、パリ協定などと言っても日本人には雲を掴むような話でしかなかったんと違うか。h18年の東伊豆町の風力被害も伝わってはいなかった。一部の環境運動家はその風力事件を取り上げて、h19年には由良町でも汐見文隆医師の講演会が行われている。すぐに役場の弾圧があったと聞いている。阿戸地区に風力発電はできなかったけれど、そこの人々にはピリピリする電流が流れていた。

この地区も複雑な構成だからね、私が聞きに回った時には、アホにされたり拒否されたりと、計画地域特有の警戒心とか敵意を見せられた。現実には畑地区に21本の風車が林立して被害を見ているからね。何も言うことはないわな。h24年に再び阿戸地区に風力計画が持ち込まれた時、この地域の人たちは絶叫して「嫌だ」と感情を露わにしていた。風力会社の説明は途中で散会となり、南隣の日高町でも住民投票で風力中止が決められる。

日高町長は熱心に風力を推進していたのに丸つぶれな格好を見た。彼は、その後にすぐに死んだかな。由良町でもこんなことがあったんだよ。その席には畑地区の被害者たちが数人傍聴に来ていたけれど、何のことやら分からなかったと聞いた。谷口愛子さんもいて、ヘンな人たちよ、と感心する。どちらの事なんだろうか、詳しく聞くこともなかった。なんせコテンパンに洗脳されていたからね、近づけなかったんだよ。

被害の真実がある。全国の風力地で、同じ風車病に苦しみ地域を叩き出されていた。低周波音測定器で、どんな状態になっているのか、被害者や地域の人、役場や県に説明したものさ。しかし誰も受け付けない。烈しい、汚い言葉で叫ばれる。ここまで狂うんや、と驚いたし、もう二度と近寄らんとこ、私には関係ないわ、と恐怖心を持った。それほど低周波音測定器は、人々に恐怖心を持たれていたのだ。

呪いの言葉を吹き込まれたんやね。哀れな生贄よな。かといって、まったく低周波音の被害を感じない人がいる。無関心と言うか、分からないのだ。被害に苦しむ人を見ても全く理解ができない。私も何度か説明して見たけれど通じることはなかった。アホにされるだけ。彼らは被害を喜んでいた。何がそんなに嬉しいのだろう。正義感とか、義侠心とか、無縁の人々がいた。人の迷惑が分からない。マナーがない。

昔から聞いているこの地域独特な差別心が段々と分かってくる。それは私の住む門前地区でも同じで、旧家の私に対する敵意丸出しの有様であった。貧乏な百姓の私が、何でこうまで疎まれるのか、笑いものにされてアホにされるのかと思ったよ。「ワシらは面白うてならんのや」と言うのだった。偏見よりも町全体の意見として、被害者弾圧の空気が覆っていた。今も変わらない。

「ウソをついている」、「アホよら」人々の合言葉、スローガンになっているからね。恐ろしい政策だよ。全国各地でも同じ有様でしょ。由良町が特に烈しく被害者を懲らしめて殺したというんじゃない。下津町や広川町でも同じ話を聞いた。人々はそれを聞いて笑うからね。道徳とか倫理感はないんかい。海外の風力反対、抗議デモから見ると、なんと異様な世界やで。何か目的があってのことだと推測する。

何でもできる町にする。原発でも産廃でも、ミサイル基地でもよい。水俣や福島はボロボロでしょ。あんな感じだね。カネ儲けのダシにされるだけ。道徳を無くすとこんなになるんや、と思う。日本人よ、勇気を持って、真実を見極めないか。一旦、洗脳されてしまうともう元には戻らない。低周波被害者が、どこへ行っても被害感に付きまとわれるのと同じ事だ。風力発電に反対しようぜい。政治は機能しない。新しい人が、新しい社会を作るほかない。