古いことを思い出しました。
添付記事は平成19年6/21日、そして6/24日のものです。
背広を着ている三人は日本風力㈱の代表。こちらを見ている八人は役場執行部の面々。畑中町長や三尾川地区の議員。後に、私が風力発電の被害を訴えて拒否する人たちが一堂に会している。
この時まで地域の人たちには何も知らされなかった。掲示もされず、チラシもなかった。もちろん被害があるということも。
未必の故意、そのままではないか。
今では確信犯として知らん顔している。
汐見文隆先生の『左脳受容説』の後半に記載されている2007年7月に広川町に被害調査に行った。という件。
この時には黒田街子さんが由良町で風力発電反対の署名運動をしていました。
ところが、畑地区の人々は署名を拒否しました。すでに広川明神風力発電1.000kw,16基の建設が進められ、隣町の広川町では被害があるのに、「風力に反対ではない」「役場に協力している」と言って、誰も相手にしなかった。
それは、平成24年5月に、私が被害を何とかしたいので風車を止めてくださいという署名に各家庭を回った時も同じでした。「誰がそんなものするか」と怒鳴って署名を拒否する人が多くいました。たくさんの人が私をあざけりの目で見て蔑むようにして拒否したものでした。この時、開山興国寺の鈴木氏にも相談しましたがダメでした。よっぽど、平成19年の署名運動が堪えたんでしょう。以後、まともに話したことはありません。
汐見先生はこの時、風車が山に隠れて見えないというだけで安心してはいけない。低周波は山を乗り越えて、迂回して伝播するんだ。と怒りました。
なぜ勉強しない。分からんのか。と言っていました。
窪田泰さんが、嘘をつくな、と言いますが、まさにその通りです。汐見先生の声も届かなかった。聞けども聞こえず、だった。
今も、全く狂った言動で、手のつけられない状態が続いています。
最初から、みんな知っていたんです。被害があろうが無かろうが、誰が旗を振っていようが利権があろうと。
見ざる、言わざる、聞かざる、考えざる。情報を自ら閉ざして、役場に管理されることを選択した人たち。その役場がどれほど悪いものであるか知ることなしに。
いや、知っていても、それがどういうことか分からないで、ひたすら生きることを選ぶ人たち。
三尾川地区は、もっと悪いかもしれません。黒田街子さんも三尾川は推進していたのでだめだった、というようなことを言っていました。
親父をはじめとして、周囲の人たちは昔からそうだと認識していた。今日の顛末を知っていた。意味もなしに私の活動を止めたのではなかった。私は何度もアドバイスされたし叱られながら逆らってきた。
この事件は人災です。しかし被害地域にも相応の理由がありました。周囲の人たちは、みんな知っていた。
えらい役をもらいました。