風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。

海外では風力発電に対して真剣に抗議運動が起こされている。これは「protest windfarm」で検索したものだが、ハワイやアフリカの原住民でさえ、地域の人々が協力して抗議運動を行っている。カネや電気よりも大切なものがあるのだ。もちろん都会でも風力反対運動は多々あって、この画像集を見るだけでも、いかに風力発電の被害が甚大であるか分かるだろう。

日本には、なんでまともな反対運動がないのか? いや、風力被害に対する抗議すら見られないようにされてきた。試しに「風力発電の被害」と検索してみるがよい。環境省をはじめとして、被害の否定がたくさん陳列されている。滑稽ではないか。風力発電の低周波被害で苦しんでいるのに、それを検索すると、被害否定のサイトばかりが出てくるのだ。どれもこれも酷い内容ばかりだよ。

私はこれまで、なんでこんなに風力被害者は虐待されなければならないのかと訴えてきた。初めから風力事業とセットになってきた地域対策だ。被害があるからこそ、強力に被害者を、被害を隠蔽してきたのだ。水俣病やイタイイタイ病の時と同じシステムだ。人々に差別意識を吹き込んで、少数の低周波被害者を貶めて笑いものにするのだ。

由良町議会での弾圧を記載してきたから、ぜひ、何が行われたのか見てほしいのだ。谷口さんら風力被害者は、苦しみながら、泣きながら死んでいった。地域の人々は面白いと言って笑っていた。なんでこんなことになるんだろうか。道徳とか、タブーとか、いたわりとか、社会の有り様とか、私たちの社会には当然あるべきものが、知らぬ間に壊されていたことに気が付かないか。

由良町の風力発電は、稼働率は非常に低い。なんせ風なんか吹いていないからね。それなのに毎日、風車21基は勢いよく回っている。巨大な風車だから大量の電気を消費している。ハウステンボスの風車なんか、所詮オモチャみたいなものだけれど、あれも心理トリックに一役買っているんだろう。電気モーターで風車を回しているだけだ。

こんなものが主力電源、ベースロード電気になるはずがないではないか。ネットワークで連携して、だって? ウソつけ。全国には風力発電に反対しようとする人が現れている。しかしその運動の中身は「エセ」に染まっている。「土砂崩れが心配です」というのだ。全国で共通した言葉だから、地域対策のツールだよ。各地の風力反対運動はこのようにして連携して、風力被害の否定を行っている。

真逆の運動会をしているわけだ。同じ町内に風力被害に苦しんでいる人がいるのに知らん顔よ。彼らの目的は風力被害者を黙らせることにある。全体主義の工作員なのだ。御用学者も講師として持て囃されている。被害者の私から見るとアホらしくて見られない。それなのにエセ反対運動の参加者たちは、「素晴らしいお話ありがとうございました」と笑いながら拍手して喜んでいる。

手のつけようがない。由良町と同じだ。弱者となった風力被害者を虐めて楽しむのだ。人は弾圧されると人間性を失っていく。被害者が地域を捨てて出ていくと、人々は大喜びだ。風力は地域の発展に欠かせない。という。原発でもそんなこと言っていた人がいましたなぁ。「風力発電の被害」とは、海外のこんな実態を見るまでもなく、カネのために地獄に蹴り落された日本社会の顛末だったのだ。

風力裁判は悲惨なものだったで。『風力発電の被害』は谷口さんから風力被害の電話があったことから書き始めているが、2016年に、最後に泣きながら電話してきた結論を国が裁判として結審したものになった。「個人的な思い込み」、だって。まさに国家犯罪よ。憂国。骨のある人、風力発電の被害に刃向かおうぜい。日本人の義務が分からないか。