風力発電の偽りの物語

現実と虚構の区別がある。風もないのに風力発電が回っていたら、それは一般の電気で回している。高さ100m、ブレード羽の長さは80mもある。こんなモノがバサッ、バサッと轟音を立てて回る。何が低周波音を発生させるのか、測って見れば分かるじゃないか。風車が止まっていても同じ周波数の所でピークが見られる。卓越した被害成分がある。風力被害者にとっては、回転動から停止までの時が一番つらいという。止まった瞬間がたまらなく苦しい。

音環境の変化に敏感に反応するんやね。風力被害の科学理論は確立していて、汐見文隆、ニーナピアポントが有名だ。ところが各地でやっている自称・風力運動会はヘンテコな中身になっている。とうに被害者がいて苦しんでいるのに、地産地消だとか、再エネの推進だとか、大真面目に土砂災害だと絶叫しているのだ。ウソつきゴンボ、初めから地域対策だと分かるじゃないか。こんなアホらしい風力推進運動が全国一律に展開する。地域のスパイ工作員の汚さよ。

被害者の事を知っていながら騙して黙らせるんやで。心理ゲームのようにしてマニュアル化されている。低周波音被害に苦しんでいるんでしょ。それがなんで「私たちは役場に協力している」になるんや。ついには「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。催眠術だよ。人は弾圧を繰り返すと、タダの家畜になる。言いなり、調教されるのだ。『看守と囚人』の社会実験が有名でな、たまにNHKドキュメンタリーでやっている。

本で読んでも、こんな事があるんだろうかと半信半疑になる。日本ではなぜこんな心理実験はしないんだろうか。初歩的な心理操作の実験は行われていて、私も大学の『心理学』講座で体験した。人の思考は楽々操作される。条件さえ整えれば、普遍的な社会現象だろう。戦争になったら一般市民が兵士となり殺戮をするんでしょ。狂気に憑りつかれた兵士は、もとの市民に戻るためには再生トレーニングを受ける。アメリカの帰還兵に心の病が多いと聞く。

自殺者が多いらしい。彼らと話して見たら分かるで。なんかおかしい。精神的な混乱に耐えられないから、言葉の選択にも難儀するらしい。タダで大学に行けたり、優遇策のメニューに騙されるんやね。生きて帰ってこれたらの話なんだが。風力発電の心理操作は、日本では特別な成果を上げている。アメリカやヨーロッパの風力反対と見比べてみろ。全然違うでしょ。日本では初めから地域対策がセットになっているから、人々は言われるままに従うしかないのだ。

一方通行じゃない、何重にも取り巻かれている。役場、県、環境省、警察、検察、人権委員会、環境保護団体、消費者事故調、その他にもたくさんの機関に電話したり資料を送って訴えたんでしょ。大学の環境科とかね。学者のアホらしさに笑ったんと違うか。ワシントン大のSalt教授の研究論文なんか有名やないか。ここでも日本の学者のアホぶりに感心する。風力発電の低周波音を測ったらアカンのやで。全国でそうなっているでしょ。

私の書いた『風力発電の低周波被害、健康被害について』の論文は誰も見ないし知らないと言うからね。無視を決め込んでいるわな。日本騒音制御学会と言う御用学会がある。岡山大の津田敏秀教授にその論文集を教えてもらったけど、恥ずかしいの一言に尽きる。これが有名大学の音響学者たちの哀れな姿なのだ。彼らは恥ずかしくないんやね。ピエロだよ。これも飯の種かい。学者だけでなく、環境運動家、小中学の教諭、高校教諭も真実を語ることがない。

何も知らないんじゃない。モノ言えば唇寒し。保身がまず先に立つ。粛清。雉も鳴かずば撃たれまい。中立じゃない。明らかに体制派、【再エネの更なる推進】に付き従うだけ。そこには個人の思考も分別もない。由良町の畑地区に住んでいたら何が悪いのか知っているでしょうに。私の住む門前地区でも風力被害の恐怖を見ているのにね。私の悪口だけが木霊する。ヘンな人。滑稽じゃないか、私を迫害するだけで安心できるんやで。こんな社会貢献もない。

苦しみ狂い死んでいった被害者たちよ、オマエラはいったい何だったのか。嫌悪、タブーの対象よ。洗脳マシーンの風力発電に、誰もがひれ伏して服従を誓う。風車教だ。秋田や山形の風車群の中に繋がれた人々の幸せそうな姿を見たら分かるだろう。カルト宗教なんやで。外の世界から見たら異常でしかないのに、その特異な被害環境が嬉しいのだ。被害があるからカネになる。原発と同じでしょ。真っ黒けやないか。日本では私一人が真実の被害を訴えて来た。

低周波音の被害と弾圧だ。日本にはまだ、「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)の言葉はない。言語障害だ。言葉の制約がある。全体主義政策の恐怖を見る。何のために風力発電を建設するのか、その本当の理由を知ろうじゃないか。風もないのに風力発電が回っている。耳鳴りがして目まいで苦しい。死んだ被害者たちの亡霊が見えるようだ。人々の喜び笑う有様に、これが結論かと考える。日本はここまでの国なのか。