被害を過小評価するな。

福島の原発被害は世界的に有名でな、各国が監視しているんやで。日本人より、アメリカ人やヨーロッパ人の方が詳しい情報を持っているだろう。日本国に対する信用のなさよ。映画『MINAMATA』にある通りやないか。日本人にはどうしてもその事が分からない。被害者がいて苦しんでいる、水銀中毒とか、放射能被ばくとか、原因は分かってるのにね。行政、政治が被害を否定して、弾圧政策を執るからだよ。

それは日本人の、被害者に対する差別意識の反映だ。穢れ、汚れ、とでも感じ取る。私なら、そうやって虐待してくれる相手の悪意に【怒り】をもって反発するんだけどな。「あれじゃ帰れないでしょ」と言って笑う人ばかりだったよ。たまたまこの記事を見て、まだ怒っている人がいるんだ、みたいな遠い記憶が蘇る。あの原発事故の当時でさえ、人々は東電に媚を売り、カネ儲けのチャンスに駆け付けた。

東京からはたくさんの水商売の人が集まったという。賑やかな新しい町が出来ていた。汚染水の大きなタンクは、一つ1億円~5億円する。基礎工事が大変なんだよ。地盤調査とかな。もし小さな地震が来て、タンクが破壊されたらシャレにならない。水タンクがカラッポなら壊れないけど、中身が詰まっていたら、計算上、破壊するわな。やって見たら分かるで。だから一般の水タンクより、相当に頑丈に制作されている。

タンク内には鉄骨構造で補強してあったりね。あのタンク群はいったい幾らかかっているんだろう。儲けた人がいるだろうね。なんせ鉄鋼不況だから大喜びよ。著者の作文を見ていて「地球温暖化」の言葉に気が付いた。反原発運動は昔と違って様変わりしている。風力発電のエセ反対と同じで、聞いているうちに、この人は何を言っているのか❓と正反対の論理に気が付くのだ。当人は矛盾に気が付かないのか、知らんふりして熱弁をふるう。

参加者も拍手喝采だ。なんかとても嬉しそうだから外部のものには意味が分からない。カルト、新興宗教みたいになっている。いや、彼らには意味なんかどうでもいいのだろう、数は力だ、すごい集まりだ、と思い込んでいる。群集心理、トリックでしかないのに。地域には大きな網が被せられていて、言論統制、情報操作が徹底している。恐怖政治なのに、日本人には分からないんだよ。私は由良町で風力政策の地獄を見た。

人間破壊と虐殺の現場を見たんだよ。いつも谷口愛子さんを例にとって説明しているけど、他にも6名の人が同じように苦しみ狂い死んだのだ。人々は笑いものにして眉をひそめていた。何でも知っているんだよ。その精神性が怖かったかな。風力のキャンペーンと、被害者の悪口、私は特別な危険人物になっていた。村八分だから人の数に入れてはもらえない。悪党たちの花園よ。誰も味方になって話す人なんかなくなるんやで。

これと同じ事が福島でも行われたと聞く。組織的な隠ぺい工作でな、陰湿ないじめ。排除があったと聞く。どこでも同じやなぁ、と被害者の話を聞いていた。日本独特な公害の歴史があって、この人災に立ち向かう人が中にはいる。田中正造とか有名だよな。各地の公害事件では、その度に奇跡のような人が活躍した。福島はその点、ボロボロやな。由良町でも体験しているから被害者の呻きが身に浸みる。私も重症の被害者なんだよ。

見ぬもの清し。被害者を汚れと見るか、精神疾患だと言うかはその人の質による。ご自分だけ助かったと思っているんやで。それが嬉しいんやな。なんという悲惨な事態だと思わないか。能登半島の原発も書いてあるけど、遠慮の塊やないか。早く廃炉にしろ、と言ってやれ。誰も何も言わないからね、それが恐ろしいと私は考える。原発教がある。風車教がある。その利権にたかって生活する人々だ。奴隷やな、と思っている。

被害など絶対に認めないからね。ロボットみたいなものさ。由良町では「被害など聞いたこともない」と言っている。それって人じゃない。政治が機能しないことは原発でも風力でも変わらない。それは日本人の反映だと思っている。もうすぐ南海地震が来る。それでも日本は変わらない。風もないのに風力発電が回っている。なぜなのか誰も疑問に思う者はいない。虚構。ウソばっかりやないか。風力発電を撤去してくれ。笑うんじゃない。