風力発電の過ちは何か?

全国には私のように風力発電の被害を受けて苦しんでいる人がいる。h23年当時だと、東伊豆町を始めとして、たくさんの風力被害者が助けを求めてSNSなどに投稿していた。私の元にもビデオ録画や被害記録のコピーが送られてきた。みんな必死になって助けを求めていた。その人らは今、どうしているんだろう。亡くなったり、転居して居なくなったりしたんだろうか。弾圧があるからね。

地域社会からも迫害されて白眼視されると、人間破壊や動物化と言った地獄の風景になる。役場や議員の悪いことよ。環境運動家たちの正体をこれでもかと見る。環境ゴロ。原発運動とか、環境運動とか、すっかり時代のトリックになっていた。福島の原発事故で聞いていた通りだった。ひどい有様でしょ。放射能被ばくに苦しむ被害者がいるんでしょ。ボロクソよな。反原発とやらも真逆の集団思想になっていた。

CO₂を出さないとかね。支離滅裂やないか。風力被害に来て言うことも同じことだけどな。結局、弾圧政策が私をここまで手こずらせている原因になっていた。低周波音の被害と、地域対策だ。海外の風力反対と見比べればよく分かる。自称・風力反対のイカサマなことよ。反対運動でさえ、地域対策として風力被害を否定するカラクリになっていた。初めから仕組まれた罠であった。

東伊豆町を見れば、その原型を見て取れる。「ウソつきばかりよ」と言われていた。あれだけ被害者たちが団結して抗議していたのかと思っていたら、今はもう誰も被害を言う人はいません、となっている。由良町なんか、「風力の被害など聞いたこともない」と言うからね。そして笑うのだった。なんで笑うんだろう。面白いからよ。これが風力地域の心理操作でなくてなんだろうかね。

いや、もともとが人々の心の闇に付けこむ策略だと考える。たしかに悪い奴が躍進した。その言葉に人々が酔いしれる。パンドラの箱を開けたみたいよ。憎しみ、怒り、嫉妬、羨望、罵声、諦め、破壊、人々は恥ずかしげもなく感情を爆発していた。私や被害者に対してな。笑いものよ。それはもう凄まじい嵐でしたよ。人はこんなに狂うんや、と驚いていた。被害者にも悲しみや怒りがあっただろう。

希望なんてどこにもない。やがて被害者は消えていく。由良町にはまだ60人ほどの被害者がいて苦しんでいるはずだよ。たぶん、私の住む門前地区にもいるだろう。異変を感じ、察知した人もいるんじゃないか。不思議なことに被害を訴える人は誰もいない。私一人になっている。初めからそうだったから、今さら、と思っている。人々に流通する被害者排除のプロパガンダ、偽情報、全体主義の恐ろしさよ。

誰か一人でも「いや、それは違う」と反論してもよさそうなんだけどな。現実にはそう言ったことは一つもなかった。嘲笑い。「関係ない」と言うばかりよ。その上での仕組まれた苛めの作戦に人々は熱狂する。生贄の儀式だ。泣き叫んでいたで。「由良さん、これなんや」と言っていた。これまでの普通の生活、価値観が通用しない。人間として否定される。そりゃぁ死んでしまうわな。悪巧み、とはそういうものだ。

風力発電は、もともとがウソなんだよ。どこを切り取っても嘘しかない。当然、地域対策も嘘。役場や議員、地域のスパイ工作員はコマとして生かされる。風力の手先となって自己実現するのだ。もともとが悪党だからね。収まるところに収まった。被害者弾圧の真実を追求しても、奇妙な集団思想になった「アホよら」と木霊するだけか。10年もこんなページを書いていると、風力被害の風景がはっきりと分かってくる。

問題は初めから提示されている。そこに住む人が、どう判断するのか、人間性を見せるのか、と言うことに尽きる。人の不幸が面白いか。破壊活動で納得したのか。風力で何か良いことがあったのか。人々は何を求めているのか。まるで家畜やないか。エサを貰って飼われる。海外の人から見たら、それは野蛮の国としか思えんで。ジョニーデップの映画『MINAMATA』はそう言うことやで。

日本人にはそのことが分からない。なんで❓と私は書いてきた。日本人よ、風力発電の何が悪いのか、真実を知ろうじゃないか。アホにされるだけやで。