よく見れば、ペテンの反対運動会。

全国各地に風力発電が建設されている。反対運動、抗議デモは初めからあって、情報のないときに、いったいどうして低周波被害、風車病の実態・現実にたどり着いたのかと思っている。ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』、汐見文隆の『左脳受容説』はh19年のものだ。彼らを中心にして環境問題に取り組む連中が集まっていた。玉石混交。アマゾンの書評欄には酷い書き込みがあるからね。文体から学者の誰、と分かっている。

私が書くこのページだって、アッ、由良守生だと分かるでしょ。それぞれに理由があって、非難轟々の嵐よ。あれから10年も経つと、本物と偽物の差が明らかになる。ウソはウソでしかないからね。風力発電はもともとが詐欺だ。地球温暖化、自然エネルギー、脱炭素といったスローガンが繰り返される。日本では検証されることがない。環境省の「移動発生源の低周波音等に関する~」は毎年作成されて公開されている。

有識者、御用学者、専門家のアホらしいことよ。水俣病の時と同じパターンになっている。誰にも分からない高等数学の数式が並ぶ。分析グラフ、数値表の意味が分からない。誰にも理解できないように書かれている。結論だけがある。因果関係はない、ということよ。酷いのになると、「風車由来の低周波音は観測されなかった」と書いてある。よくもまぁ、こんなデタラメばかり書き連ねるな、と感心する。風力発電は移動発生源だとする。

車や飛行機と同じ扱いで、移動してなくなる、というのだ。見ての通り風車は、堅固な基礎コンクリートに固定されている。移動しようもない。自由振動があるから常に全体系で低周波音を発している。測って見れば分かるんだよ。これは自信をもって云える。私は大学の土木科を出て、測量士でね、『環境』講座で騒音測定の訓練を受けた。実際に北陸新幹線の騒音測定業務に参加した。s57年当時、汐見文隆医師、小林芳正教授の西名阪自動車道、香芝高架橋の低周波公害訴訟を知っていた。

随分と長い年月を経て、私が彼らに教えを乞うことになろうとは、神々しいものを感じたよ。しかし国側は、万全の対策を敷いていた。1㎜も動かない。被害者だけが苦しみ狂い死んでいる。誰も助けないのか。そうだよ、これまでの弾圧を見れば悲惨な歴史を積み上げてしまった。今では私一人が、しつこく風力被害の実態を伝えている。人々はこんなにも冷酷、非情だったんや。新聞やテレビでは、風力発電の低周波音被害が伝えられることはない。

あれだけ土砂崩れが心配です、という割には、どこにもそんな記事はない。つまり全国の自称・風力反対はウソを言っている。この言葉にも噓の意味が込められている。陰湿な策略がある。環境運動家、風力運動に集まる悪党の代名詞だ。風力利権で、いろんなご利益がある。一般に重症の被害率は100人に一人か二人しかない。田舎社会は情報がないから、住民には何が起こったのか理解はない。それが由良町畑地区のように狭い谷あいの特殊環境になると5~6%にもなった。

被害者たちは飛び上がった。それほどに低周波被害がすごかったのだ。私もその時の音圧の凄さをコレでもか、と体感している。夜中に寝ていると、屋根から「ドンドンッ」と烈しい爆音がして飛び起きたと言う。それほどの被害なら、屋根の瓦が落ちるとか、壁にヒビが入るとか、目に見える現象になるでしょう、と人々は笑った。被害者にはまだ風車病独特な症状はないものの、その後すぐに亡くなっていた。関係ない、と人々は喜んだ。

私の排除命令が出ていた時でな、慎重に漏れてくる話を聞いていたものさ。誰も、何も言えない事態になっていた。考える会、という秘密結社にして管理していたのだ。あたかも被害者が集まって自分たちが作ったように見せかけたトリックよ。2019.2/7日のページにはそんな場面の録音がある。地獄の風景だ。死んだ被害者の名を指折り数えている。主催者、地域の協力者、真っ黒けの地域対策があった。これを知っても、由良町だけでなく、全国誰も反応しないからね。

風力バンザイよな。哀れな被害者なんて感覚はない。リスク、いらない人たちなのだ。生贄よ。これが実体験として風力発電は展開していく。風力発電は虚構なんだけど、犠牲を払うことで、苦しみこそが現実感を以て人々の心を支配するのだ。すべては虚構の物語だよ。それを現実に落とし込む弾圧、虐待こそが風力被害だ、と書いてきた。日本だけやで。世界では「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と言って抗議デモをやっている。

諸外国に比べ、人口密度が高く、山々に囲まれた複雑な地形で、低周波被害は顕著な現象を見せる。低周波音の流れ、低周波音の溜まり、上空に反転層が出来て低周波音が閉じ込められる。響き合い。共鳴。何でもアリの被害に泣いて死ぬ。それよりも悪辣な嫌がらせ、虐待に泣いたかな。人ほど怖いものはない。今、各地のエセ反対では、「土砂崩れが心配です」と懲りもせずに同じスローガンを繰り返している。

A4のコピー用紙に書かれた文面を読み上げるようにして、どの反対運動でも全く同じセリフが伝えられている。オウム。ロボットやな。田舎の人が素朴に反対しているのかと思ったら、いやいや、汚い地域対策の手先となって喜んでいた。同じ町内には風力発電の低周波音に苦しんでいる人がいるのに、「私たちは土砂崩れです」と言って憚らない。こんなになるんやな、と感心する。それは風力被害者も同じでな、とうに人間性を無くしている。

もう人じゃないんや。それが面白いか。自滅、自壊やな。たぶん私だけがそう見ているんではない。黙って、ジッと社会の転落を見ている人がいる。だってh24年の初めから、こんな考えを伝えている人がいたからね。残念ながら日本人には伝わらなかった。やるだけのことはやったつもり。