危ない原発

震度7でシェイクしたら、どんな原発でも壊れるんやで。仮に火力発電所でもいい、設計書を見れば耐震設計がどんなものであるか関係者なら知っている。免震技術とか、耐震構造だとか、魔法のトリックでしかないことが分かる。これまでの原発被害を見れば、いかに当局がウソをついていたか見ただろう。「東電の方がまだ悪い」と言い続けるか。原発のある地域はよ、辺鄙な要らんところよな。

地域の人はその補助金で生活する。かつては原発音頭を踊って喜んだものさ。日本人ってアホやから、何も考えられないんやね。地元誘致で、電力社員も大威張りよ。原発関係者はヘンな人が多いでしょ。それは関電も東電も変わらない。職業病みたいなもので、福島の原発事故ではそれが全国放送された。作業員でさえ奇妙な精神状態になる。あの時、原発事故を視察した人が多くいたでしょ。

押し潰されそうなストレスがあったという。放射能か、破壊のエネルギーか、不思議な臭いまでしたと聞いている。それほど破壊の脅威が恐怖として襲い掛かったらしいのだ。今も解決のメドはない。想定外だって。違うよ、日本に原発は無理なんやて。能登半島は大きく隆起したとある。海岸線が100mほど遠のいたらしい。内陸部では砂質層の地盤が軒並み液状化した。北陸のこの地は「砂」が有名でな、土地代より、砂の販売金額が大きいと聞いている。

砂は特産物だったのだ。皮肉よな。もし放射能の被ばくがあったとしても、人々は逃げることができない。どうせ年寄りばかりよ。そんな僻地に原発ができる。和歌山の地元新聞にも変な記事があって、原発がダメなら自然エネルギーなら良いだろうと言って、風力発電やメガソーラーが大流行りだ。この記事にある日高川町なんて狭い山間の地形に風車が林立する。人心はとうに狂っている。

土砂崩れが心配というからね。とても近寄れない。小金貰って喜ぶだけよ。北陸の原発銀座と同じ神経かい。共通点は、私とは話が通じないということだ。それみんな我々の税金なんやで。カネ儲けのダシにされてアホにされていることが分からんか。産経記事の下段には原発の安全性が強調されていた。御用学者の嬉しそうな議論が書いてある。責任感なんかどこにもないんやで。これがこれまでの公害で、どれだけの災厄を肥大させてきたことか。

水俣や福島でもな。風力被害ではすさまじい弾圧になっている。学者は地に堕ちたツールよ。逆に、反原発の人でも、昔の原発反対とはすっかり中身が入れ替わっている。被害隠ぺいのトリックになっているのだ。風力被害の地域対策と同じやり方だ。心理操作だね。言葉の入れ替え、ウソと作り話を綯い交ぜにした行政の手先だよ。彼らの悪意に気が付いている人もいるだろうにな。

テレビや新聞では一切の原発報道はない。地元民の言葉もない。洗脳、地域支配の徹底ぶりよ。これは日高川町も同じなんやで。もちろん由良町でもな。由良町で何が行われたのか、このページで延々と書いてきたつもりだ。初めから誰も見やしない。インターネットをしないのだ。読みようはないわな。コピーして渡して説明しても、拒否する烈しい顔を向けられる。それほど私が憎いか。

人々と私との差が開いていく。孤立なんて優しいもんじゃない。被害者なんて狂い切っているからね。笑うしかないわな。私のメールボックスにはフィッシングの詐欺メールばかりが押し寄せる。電話にも詐欺の勧誘が来る。ファックスのピーピー音が鳴り、それが何度も繰り返される。迷惑な話よ。150年前の幕末にもこれと同じ事があったらしい。NHK大河ドラマの『勝海舟』にもそんなセリフがあった。

ウソがワンサカ盛り上がっているというのだ。松方弘樹の名演だった。少し古いか。由良守應が活躍した時代だからね、よく覚えているんだよ。氷川清話も有名だ。やはり何か書いて残しておかないと、議論は始まらない。私が守應の物語を書こうと思っても、ほとんど何も残されていない。周囲にいた人たちも、意図的に隠したんじゃないのか。陸奥宗光とか、多額のカネが動いたと聞いている。

書けなかったんだね。今、原発にしろ、風力被害にしろ、何も書けないことになっている。日本の社会が受け付けない。日本人は、自らの頭で考えて価値を作り出すことができないのか。何が大事なのかは分かっているだろうに、と思うのは私一人なのかい。原発は危ないから止めようぜい。風力発電も危険だ。何よりも人々の精神を破壊する。【攻撃的になる】と伊豆の報告書には書かれていた。初めから知っていたんだよ。