分家の大叔父に由良守應(もりまさ) という出世した男がいました。少なくとも、由良町門前村では有名でした。
私が子供の頃、守應を直接見て知っている人が、まだ何人かいました。皆さん、自慢げに懐かしく話していました。明治の頃のお話です。
こんな片田舎の百姓の倅が、岩倉具視の欧米視察に同行して、世界旅行をしたのですから、誰とも世界観が違ったことでしょう。
明治維新を、力のかぎり駆け抜けた男の一生でありました。
『走れオムんボス』は週刊朝日に連載されました。作家、神坂次郎さんは当時、同じ建設会社の工事事務所の所長さんをしていて、何度か我が家へも取材に来てくれました。
私は子供のころから、守應のえらい闊達な人生を聞かされながら育ちました。しかし、あまりご利益はなかったようです。
陸奥宗光が来て、酒宴を張ったという屋敷跡は、今は雑草が茂るみかん畑になっています。
「正七位 由良守應生誕之地」の石碑、石垣古井戸、だけが残っています。