今朝の産経は世の不条理を書くが、この新聞自体が原発と再エネの広告新聞だから、よくも白々しくと思うのだ。他の新聞に変えたいよ。我家では戦前まで朝日だった。それがアレ、でしょ。自民党員だったこともあって産経になったと聞いている。今朝の新聞は広告ばかりで、読むところがない。高い新聞代の意味がない。
さて前ページには有田川町の風力反対を見てきた。2017.5/14日のページには、その近くの下津町大窪地区へ行った時の観測結果を載せている。実はな、大窪地区だけではなくって、周辺の集落にもたくさんの被害者がいた。それなのに被害者たちは声を上げることができなかった。由良町と同じだ。
被害者を黙らせる仕掛け、トリックがあるのだ。私は有田川沿いの商店で農業資材を購入している。そこからは山の上にたくさんな風車が回っているのが見える。店の人は絶対に風力被害に触れることはない。へへっ、と笑っている。下津町の人には何度か話を聞いていた。最初は風力被害の酷さを聞いたものだが、最近は拒否、完璧な緘口令になっていた。
何がこうも人々の言葉を奪い、薄ら笑いに変えてしまうのか。平野部の人たちは、もちろん何でも知っている。その上で再エネが必要だとか、「さぁ?」とか言っている。風力発電は時代の要請で必要な施設だと考えているようだ。被害者に触れることはない。無視、嫌悪を垣間見せる。その裏側には憎しみのような、ドロリ、とした黒い感情がある。
憎しみの連鎖だ。被害に苦しむ私から見ると、これが辛い。なんで日本だけが、「Stop wind turbines !」という言葉がないのか。プロパガンダ。洗脳、心理操作の賜物なのか。誰かが気が付いてもよさそうなもんなんだがな。人としての思いやりとか、社会の健全性、とか、良心はないんかい、と、その人の冷たさを見る。
添付資料のように、県の環境課は9回もこんな観測事業を行って被害者を弾圧した。私もやられたからその酷さ、辛さがよく分かる。虐待して苦しめて追い出すのだ。県の担当官らは声を上げて笑っていた。政治家たちもグルになって、環境運動家と共に被害隠ぺいの煙幕にした。これまで書いたことは、地元新聞には一切、載ることはなかった。
テレビでもな。被害情報は伝えてはならないのだ。それは由良町でも同じことで、記者たちの卑しさ、汚さには驚くしかなかったよ。彼らにはそれが面白くてならない。議員はそれを見て笑った。社会はすっかり崩壊していたのだ。被害地域、被害者でさえな。有田川町の山中にある幹線道の看板を紹介したけれど、彼らはとうに被害地域に含まれている。
気が付いたかい。看板は平地には一つもない。有田川町といいながら、天空の集落だけの閉ざされた空間なのだ。卓越した低周波音は平野部までは届きにくいらしい。風車の騒音は聞こえない。しかし複雑な山中の地形から、いたるところに低周波空気振動の溜まり、が出来ているだろう。由良町でもそうだが、「あそこには行けない」という畑がある。
そんなポイントができるのだ。風力業者、そして行政は、絶対に何が被害を及ぼすのかを測定しない。水俣病でもそうだったでしょ。公定法とか、赤木法とか言ってさ。法律で決められた測定法だと言って、有機水銀の被害を認めなかった。目の前の被害を見ながらそんなウソ話をでっちあげていたのだ。
有田川町の風力発電被害もまったく同じやり方で、被害は隠蔽されていた。人は、弾圧されると動物になる。人間性を奪われるのだ。それが面白いと言う。ワシに任せとけ、と言って、嬉々として虐めまくるのだ。その人が部落から出て行ったら自慢の成果よな。死んだら喜びに手を叩いて笑いあう。由良町と同じやり方だ。
平野部の人たちもそれは知っている。弱者となった被害者を助けようとか、可哀そうだなんて言う人はいない。差別の厳しさよな。これが秩序かい。管理されたファシズム、カルトだろうが。目的は電気ではなく、支配技術なんだろう。奴隷にしてしまうのだ。言葉を奪う。そしたら考えなくなる。「考える会」なんて素敵な名前よな。
代わりに考えを注入されるのだ。奴隷化政策よ。日本では私一人なんかい。世界の各地で、風力反対運動が起きているで。答えは初めからある。風力発電は詐欺だ。被害者を弾圧するのは止めろ。風力被害を通じて、人々の正体がよく分かったよ。まるでパンドラの箱を開けました、ってことだ。希望の文字はない。あるのは憎しみだけ。
人々の私に対する憎悪の深さには参っている。顔をドス黒くしてまで睨め付ける人もいる。谷口さんなんか目を泣き腫らして叫んでいたで。「出て行けっ」とな。風力発電に反対しよう。エセ反対運動の目的に気が付こうやないか。騙されたらあかんで。