倫理感の破壊

風力発電は精神を破壊すると書いてきた。地震や雷は大きな低周波音を発して人を恐怖に落とし込む。それと同じ理屈だ。弾圧政策と共に、被害者はすぐに人間性を無くしていく。その哀れな姿を見たのは私だけではないだろう。近所の人だけでなく、環境運動家という悪魔が襲い掛かる。初めからそれ用に投入された策略だからね。何もかも知った上での虐待なんだよ。もちろん役場は、県から、国から指示がある。再エネ推進事業の酷さを見る。

なんで地域の人はその暴力に抗えなかったのか、と書いてきた。h18年の東伊豆町の風力被害から、延々と同じ惨禍を繰り返している。マニュアル化されているわな。由良町には谷口愛子さんがいて、私が依頼を受けてこんな情報を発信してきた。ほとんどの人は裏切っていく。勝つ方に付かないとな。国を相手に何言っている、となる。そこには民主主義の精神はない。奴隷の言葉があるだけよ。

低周波音の測定器で測って見たら分かるけど、風車が回っている時と、止まっている時では40dbもの差がある。対数表示だから10000倍のエネルギー変化だ。周波数0~20㎐までこんな具合だ。人の耳には聞こえないけど、感覚として圧迫感、いやな雰囲気を感じる。気圧変化だよ。アメリカの物理学会JGRで調査した文献(2019.3/11、3/12、3/26日のページに記載)では、風車から100㎞離れても風車特有の低周波音が確認されたとある。

同ページのフィンランド記事には、なんと15㎞離れても風力被害者がいたとある。原因は大気中に低周波音を伝播しやすい層が形成されて、そのままの状態でより遠くまで運ばれるからだと書いてある。小林教授の解説もあるからぜひ読んでみて。由良町の周辺でも、4㎞離れて、遠くに風車群を見ながら、高い音圧の低周波音を観測した。ここでは他にも低周波音の原因があると思われるが、加算されたんだろうと推測する。

JGR論文でも、風車が途中にあると、その分、低周波音の増幅があると書いてある。風車から2㎞も離れると倍音が見られる。特異なピークを持った響きとして、ピアノやバイオリンのように、音色を持っていることが分かる。高調波。風力発電の独特な波形、分析図を見る。測定器をもって測っているうちに、アッ、風力発電や、と分かるんやで。

西洋の人魚伝説には、得も言われぬ音色が聞こえてきて、それで船乗りたちは海に引きずり込まれると書いてある。幽霊船の物語だ。独特な音色の響きが人間の感情に影響する。音楽でも、リズムだけじゃないでしょ。音色に酔いしれる。名器と言われた楽器には、絶妙に組み合わされた低周波音がある。デジタルCDでは再現できないらしい。それで被害者になると余計に精神が苦しむんやで。

よく風力発電の騒音を録音しました、とインターネットにアップしているのを見る。有害な低周波音の空気振動は録音できないし、聞くこともできないんだよ。現場に行って体験するしかない。そこにも低周波音の分かる人、と無感覚な人がいる。両極端だね。中間に位置する一般人はどうだろう。グレーゾーンだけど、被害感はなくとも嫌な感じは残るかもしれないね。

実際には、低周波被害に鈍感な人でも、ヘンな人になったり、脳梗塞や癌になって苦しみ死ぬ人がいる。その最後の時、耳にじんじんしたり、ワンワンと鳴り響くんだろうか。最期に死ぬのは大変みたいだったで。由良町で見たように一般の人はとても喜んでいる。被害が面白かったのだ。笑いを煽った悪党がいた。もともと悪い人であるのは分かっているのに、人は私の抗議を拒否して、被害者を「ウソつき」として断罪した。

これまでの信頼関係は一気に消えてなくなっていた。これが政治かい。あ~ぁ、あほらし、と孤独を噛みしめる。まだ何とか生きているだけマシか。日本の原理主義を見ないか。我々日本人は自分では分からないけれど、アメリカやヨーロッパとは違う、中国や韓国とも違う、特異な思考パターンを持つようになった。単一民族なんて言うつもりはない。日本人社会を覆う原理が働いている。

外人から見たらそれは明らかなんだが、その不思議な心理模様に今回の風力被害は利用されたと見る。ジョニーデップの映画『MINAMATA』にはとくに珍しい場面はない。しかし日本人には受け入れられない何かが残る。彼の魂胆が分からないか。日本人の欠点をサラけられたんやで。民主主義はないんかい。この一言に尽きる。各地でやっているエセ反対を見よ。環境運動を騙り、こうまでして風力被害を否定する彼らの悪意が分からんか。

日本人はそれが面白いと言って笑うんやで。こんな精神的な被害もないだろう。私や谷口さんの書いたものとは正反対のイベントが、各地で盛況に開催されている。土砂崩れとか、地産地消とか、環境保護だとか。世界中の風力反対とは、なんと違うことよな。この違いがオマエには分からないんだよ。私は150年前の明治維新を聞いたり読んだりして多少は知っている。日本人にもかつてはこんな生き方があったのだ。昔話でしかないんか。