風力発電は見世物、演出やで。

天気図を見ると冬型の気圧配置で西高東低の縦線になっている。北風が強い。といっても風速10m/秒もないだろう。今年はまだ雪が降っていない。氷も張らない。六十年前の子供の頃なら、山々は雪化粧していたし、バケツの水は固く凍っていた。霜焼けで指が赤く腫れたものよ。みかん採りでも、蜜柑が冷たいから指先が痛くなってくるんやで。

一斗缶で焚火して、手をあぶりながら、誤魔化しながら作業した。今は汗かきながら蜜柑採りするからね。温暖化のおかげだよ。冬が温かくなって有難いと思うのは私だけじゃないだろう。風力発電の低周波音の被害を訴えている。現地の被害者なら、風が強いと、逆に被害感は薄らいでいる。風車由来の低周波音は高くなっているのにね。

不思議なことだよ。しかし根底には、やはり独特な風車病の苦しみに狂うことになる。測定器で測ってみたらよい。いかに人工的な、自然にはない有害な音環境になっているのか、観察している人もいるんでしょ。何がこうまでして風車の低周波音に苦しむのか、被害者の責任じゃない。外因性の疾患だと、原因は明らかにされている。

日本だけ、実に世界の常識に反して、被害者を否定して弾圧を加える。風力裁判は世界でも有名だろう。水俣でも福島でも、ヘンテコな裁判で被害者が否定されている。国を挙げての弾圧政策だ。その地域の人々が被害者差別を楽しんでいるからね。ヒエラルキー、身分社会、カースト制度みたいだよ。被害を訴えるものは不可触賤民とか、精神疾患とか。

環境省の報告書に、チャンとそう明記するからね。恐ろしい風力政策だよ。風力発電の嘘吐きは、本当は全国的に分かっていることと思う。30年前の竹下登内閣の時、ふるさと創生資金1億円が各市町村に配布された。それを原資としてあちこちに町のシンボルとして風力発電が建設された。公園とかにポツン、と立っていたでしょ。

すぐに壊れて撤去されたんでしょ。ランドマークとか、自然のエネルギーとか、いろんな宣言をしていたじゃないか。風車建設を計画していた自治体も多くあった。検討段階で風車は取りやめて桜並木に変更したり。道、緑、町作り、3M計画とかね。バカバカしいマニュフェスト作りに、ワーキングショップだとか言っていた。その時の人はまだ生きているはずだよ。

だって私が当事者だからね。その時の教訓、経験は生かされなかった。もしかしたら、という幻想を持ったんだろうか。心の中で、勝手な想像を膨らませて、地球温暖化だと恐怖心にすり替えたのかい。被害者に対する弾圧のすさまじさはその反動と見る。由良町で行われた被害者に対する虐待と地域対策は異常やで。気が付く人がいてもよさそうじゃないか。

今日は、たまたま風がきついけど、普段はそよ風程度なんだよ。私は山の上で蜜柑を作っているからね、風があるとかないとか分かるわな。農薬散布、消毒する時の霧が飛んでしまうじゃないか。愛媛や静岡には蜜柑畑があるから、農家なら分かるでしょ。風力発電はタダの幻想だよ。夢をかなえたように思う人は無責任な環境運動家よ。

カルト、宗教みたいなものだと断じてきた。ボアしてよかったね。被害を訴える人が苦しみ狂い死んでいく。そのことが得も言われぬ楽しみであった。人々とともに恐怖の演目を楽しんだのだ。誰も助けない。生贄だわな。日本では私一人が風力発電の被害の実態を伝えている。もう誰も私の話を聞く人はいない。変人よ、アホよら、と笑いものにされるだけ。

いや、鼻も引っ掛けないか。当然のようにどこにも風車病、低周波音の被害を訴えるデモはない。土砂崩れと言うばかりよ。これも幻想でな、人々の想像力でしかない。由良町のどこに土砂崩れがあったんだい。それをまた、谷口さんらは土砂崩れが心配で気分がすぐれなかったんと違うんかい、と強弁する。地獄に落ちろ。同じ弁は東伊豆町でも聞いた。

なんと被害者たちは土砂崩れが心配だったんだってよ。近寄れない。言論統制、情報管理だ。すべて嘘八百になっている。由良町に限って言うと、風力発電は何の役にも立っていないし、一般の電気を消費しているだけのハリボテだ。検証は行われない。莫大な税金が投資されている。誰も責任取らないし、意味なんて初めから何でもいいんだよ。

ただ被害者に対する弾圧、社会の崩壊を見て来ただけの茶番であった。本当に日本人は風力被害の実態が分からないんかね。谷口さんらの苦しみの声を聞いて笑うだけかい。私に対する敵意に、勝ち誇って喜ぶだけの事か。風力発電の被害はよ、水俣や福島の被害の根底にある【人々の悪意】と同じものやで。外部から見たら、こんな所に住みたいか、となる。

家畜化、自己家畜化、まるで奴隷にされている事実に気が付こうじゃないか。普通の人間になろうぜい。