1㎜も動かない。

h23年12月から風力発電の低周波被害を訴えて来た。その時には既に東伊豆町などで甚大な健康被害が明らかになり、住民らによる被害調査報告書が全国に発信されていた。同時に環境省の報告書には、風力被害を否定する記事がしきりに繰り返されている。極めつけはh22年の「被害を訴えるものは精神疾患のもの」という件だ。世界的にはニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』(風車病)が出版されてベストセラーになっている。

汐見文隆医師の『左脳受容説』も有名だ。ともにh19年に出されている。環境省の報告書には「海外に風力被害の知見はない」と書いてある。嘘八百の被害否定に、誰も抗議できなかったのか。少なくとも被害に苦しむ者に対して「オマエはキチガイだ」と断定する精神性にオゾマシサを見ないか。由良町にはたくさんの環境運動家、スパイ工作員が投入された。まったく何も知らない人から電話が来て、奇妙な物語を聞かされてきた。

谷口さんへの悪口もあって、破壊工作やな、と気が付いていた。たしかに重症の被害者は狂っていた。そりゃぁ、間もなく死ぬんだからね、ヘンになって支離滅裂よ。有害な低周波音の空気振動だけじゃなく、弾圧政策という人的な暴力に何も考えられなくなったんだろう。言われるがまま、何も考えることなく洗脳の言葉が浸みわたる。田舎の百姓は語彙が少ない。言葉数が限られる。そんな田舎者が急に学術的な専門用語を話すんやで。

私は大手企業で建設コンサルタント、図面書きをしていたからビックリしたさ。大卒の私でも、企業で教育されて、やっと理解している言葉を、彼らは平気で使っている。自信たっぷりに話す地域要員に、詐欺師特有の影、悪意を見る。それが仕事だから罪の意識はない。国の権力を背にして、嵩にかかって攻められる。鼻持ちならんな。それが彼らの喜びだった。2016年、汐見先生や谷口さんらが亡くなっていく。笑いものにされて、さぞや人々は喜びをかみしめたことだろう。

彼らの笑いの秘密を書いてきた。被害の事を何もかも知っている。それが嬉しいのだ。私に対する憎しみを見るにつれ、どうしようもない人々の悪意が明らかにされる。ターゲットにされた人は、誰にでもある恥ずかしいこと?、や暴力を振るわれたりコテンパンに集団リンチに遭う。それぞれに合わせた弾圧を実行するから、個人ファイルがあって、タクトを振る奴がいる。連絡系統、指揮系統が割とはっきり決められているだろう。

役場で議員をして反対していた時、同じ言葉を同じ順序で話す人々を見た。畑地区でも、門前地区でもな。『谷口語録』に書いたとおりだ。私に対する悪口はもうハチャメチャよ。親しくしていた人からは、「みんなお前が羨ましいんやで」と教えられたものだよ。なにが❓ 今はもう誰も風力発電と言わないね。神の名を唱えてはならない、か。カルトだよ。人々は信者となって笑っている。とても幸せそうだ。本当はまだ60人ほどの被害者がいて苦しんでいるはずだよ。

とうに家畜になっている。感情と言えば私に対する憎悪だけ。見事な人間管理が出来上がっている。人間牧場だね。言葉を奪われたら、人はこうまでヘンになる。精神疾患やな。東北地方の、山にも平野にも海にも、風車がいっぱい建っている風景を見ただろう。あそこの人たちは長年教育されてきたから【被害】という感覚がない。思考経路が機械的に決められている。普通に考えたら、あんな所には住めないわな。低周波音でワンワン言っているはずやで。

風車の低周波を測ったらアカンのやで。それは水俣でも福島でも見たやろ。何が悪いのか。幻想を見るようなもんさ。人間性を奪われるんやね。例えば、原発地域には誰も住みたいとは思わんでしょ。水俣の人を見たらヘンでしょ。水銀中毒なんか見たくもない。ユージンスミスの写真は、罪作りよ。日本人にはこんなことはできない。ジョニーデップの映画『MINAMATA』もな。日本人は見たくないんだよ。見ぬもの清し、という。知らん顔。被害者はお気の毒さま。

私が何か言おうとすると「知るかっ!」と人々は吐き捨てる。それほど私が憎いか。武家の生き残りだからな。覚悟はあるさ。今朝の産経1面には移民問題が載っていた。日本でも移民・難民のトラブルが多発している。そろそろ何か対応しなければならんのだろう。ただ産経やメディアは再エネ被害の事は一切、載せない。だってスポンサーだからね。原発と再エネの広告新聞だよ。能登半島の地震で、震度7でシェイクしたら、どんな機器でも壊れてしまう。

パイプや配管は宙に浮かんでいるんではない。どこかに接続しているんやで。柏崎原発でもそうだったでしょ。何か言ったらどうなんや。頬かむりか。由良町では、風力の何も言葉には出来なくなっている。風力ファシズム、恐怖政治に陥っていることに誰も気が付いていない。いや、それが楽しいのだ。新しい制度、損したくはない。被害者はとうに人ではない。ゴミみたいなものだ。いずれ消えていく。

町自体も、俯瞰すればそんなものでしかないのに、権力の手先になった気分で喜んでいる。終わっているやないか。アホしかおらんのかい。