精神疾患とされて喜ぶか。

ソーシャル・ディスタンス(social distance)と言って距離を取る。危険だから近づかない。飛沫があるでしょ。気持ち悪いわな。コロナでは、すっかり人々の意識が塗り替えられる。未だにワクチンが~、というからね。打ちたい人は打てばよい。副作用があった人は止めたらいいだけよ。それにしても最近はコロナで死んだという話は聞かないね。当初のコロナ死は何だったのかと思う。

あの最初のコロナウイルスは無くなってしまったんだろうかね。そんなに簡単に死滅するとも思わない。55年前、由良町では赤痢が大流行して臨時収容施設に約千人が隔離された。人口8千人の町だから、それはもう大変な限界状態を見る。私も強制収容されました。消毒薬を浴びせられてクスリ塗れにされたものだよ。3ケ月ほどで解放されたかな。

菌が抜けずに長い人だと半年ほど閉じ込められていた。個人差があった。私には何の症状もなく、毎日、暇、暇、ボーッ、としているだけよ。子供はまだよい。大人の男女が狭い収容施設に閉じ込められる。夏の事だから暑くてな。当時はまだ冷房なんて設備もない。よくて扇風機だよ。ウチワを手にして仰ぐだけ。よく暴動が起こらなかったもんだよ。

たぶん精神活動を抑制する薬を盛られていた。三度の飯がまずくてな。その後にカプセルの大きな奴を飲まされる。あまりに大きいからカプセルを割って、粉で飲んでいる人もいた。いやな薬だったよ。当時のことはほとんど覚えてはいない。私はちょうど小学4年生だった。日々の生活に記憶がない。最初に連れて行かれた講堂には、たくさんの患者が直接地面に寝かされて並んでいた。

異様な風景と喧騒。そこから記憶が途切れ途切れになる。秋になり、古い教室を利用した病室から退院できた時も、あまりよく覚えてはいない。我家に帰ってしばらくして、クスリ独特の臭気がないことに気が付いたことかな。まるで空白の長い時間があった。それから8年後だったか、今度はコレラが由良町内で流行した。毎日4人、5人と感染が確認される。

我家ではミカンの出荷が止められる。市場が受け付けない。これも困った現象があって、由良町の人はこないでください、と拒否されていた。私も1か月ほど学校を休んでぶらぶらしていた。今度は薬も飲まないから、まるで自由に遊んでいたかな。赤痢もコレラも死者はいなかった。症状の悪い人の話も聞かなかった。危機感はあったようだけど、どこかアキラメのような、成り行き任せで済んだ。

由良町の人が積極的にどうしたということはなかったと記憶する。由良町だけ、なんで? という話も聞いたけどな。原因は分からずじまいだった。さて風車病だ。今ではすっかりとこの言葉が消えている。低周波被害は認めない。言葉にしたらあかんのやね。なぜなのか? タブーだから言うたらアカンらしい。水俣でも同じこと言っていたな、と思い出す。

「水銀を測れなかった」、と関係者が証言する。最初から魚介類に水銀が蓄積していたことは知られていた。しかしそれは長く秘密にされる。別の理由があるじゃないか。被害を訴える人の持病だよ。アメリカ軍の爆弾の成分だ、とか、亜鉛が原因だとか、いろんなエセ研究が舞い踊る。根拠もないのに出まかせなのは当時でも分かっていただろうに。たくさんの死者を出す。

とても見られたもんじゃない。人災。人が、どうしてこんな酷いことができるんや、と思わないか。被害を訴えるものに対しては、カチンコチンな弾圧があった。それが水俣の正義だった。市長が工場長の兼務、議員が工場の社員、関係者。ボロボロの政治が支配していた。風土病やな、と思ったよ。今も変わらないからね。

畑地区の谷口さんらから低周波音の被害を聞いているうちに、水俣病とよく似ているな、いや、そっくりだと感じていた。既に東伊豆町など、全国で同じ風力被害が確認されていた。その上で環境省は「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と書いていた。同じ意味の事を毎年のように書き連ねている。環境省に電話してみると、ケンモホロロに撃退される。

総務省や厚生省に聞いても同じことだった。風力被害は受け付けない。「アンタもう何度電話してくるのよ。断ったでしょ」と汚い言葉で罵られた。これが公務員かい、と笑えたよ。被害者専用の窓口対応だったのだ。もちろん役場も政治家も知っている。雑誌記事に堂々と被害を否定する。人々はこれを見て大喜びする。風力被害を訴える人は特別なヘンな人なんだとな。

わざわざ、こうして低周波被害の否定の根拠を示してくれた。それは違うだろ、と抗議するのは私一人なんかい。それが私には不思議でしょうがない。各地の風力被害では、被害者たちが塗炭の苦しみに狂い死んでいる。それを直接見て人々が笑い喜んでいる。「アホよら」という。誰も被害者に同情する者はない。キチガイの言うことに嫌悪しかないのだった。

被害者同士で協力して戦うことはできなかったんだろうか。地域の人々は、風力発電の被害について危機感をもって抗議できなかったのかい。逆に作用したのだ。弱い者いじめが面白い。生贄にして殺してしまえ。たとえそれが家族の一員であったとしてもな。兄弟でもそれが言葉にできない憎悪になっていた。そんな吐き気を催す話に人々はひっひっひ、と笑う。人の不幸が面白い。

何度その話を聞かされたことか。日本人はこんな程度の人種だったのか、と思わないか。幕末明治の時みたいに、一人でも立ち向かう、大塩平八郎のように命を懸けて立ち上がる人はいないのかい。私一人となって、風力発電の被害を見るのが関の山か。東北や北海道の風車の林立する風景を見て、そこに住む人々の狂気を感じないか。