風力発電の被害、聞いても分かりませんか。

h23年11月末の電話から延々と時間が過ぎてきた。このホームページは「風力発電の被害」に関する記事で一杯になっている。風力被害者とは、地域社会とは、役場、役人、議員たち、関わってきた人は人間臭い正体を露わにして、私に襲い掛かってきた。こんな人やったんや、と驚くしかなかったよ。風力被害に遭わなければ、何も知ることなく、ケンカすることもなく、無事に百姓仕事を進めていたはずさ。

2haほどの田畑は先祖伝来の宝物でね、それぞれに名前が付いている。田舎の百姓は、どこでもそうでしょ。久保(くぼ)、五升米(ごしょまい)、八十坪(ハチャツボ)、それぞれ由来があるからね。一枚、一枚、と大切にしてきたのさ。コメの値段がアホみたいに安くなっている。とても採算が合わない。赤字だ。日本人は米を食べなくなったという。パンとかラーメンとか、食事の内容が変わってしまっていた。

何がご馳走か、という価値観までもな。我家には昔使ったお膳、お椀などがたくさんある。親類縁者が集まって賑やかにやっていた。そんなことも、もうない。日本の社会がこんなに変わってしまうとはな。四斗樽に漬け込んだ干し大根が美味かったやないか。貧しかったけど、その日の食事が楽しかった。幸せの味やね。60年前の由良町は、人口8千人ほど。今は5千人に減っている。

それなのに知らない人が多くなっている気がする。少し高い場所にある我家からは、田んぼの田園風景しかなかったのに、今は住宅が密集している。ヘンな感じ。どんな人が住んでいるんだろうか、とも思わない。世間話もない。水田、稲作は地域の共同作業だから、どうしても仲良くする必要があったと思っている。それも幻だった。百姓という職業は完全に廃れましたな。時代遅れの遺物でしかない。

まだやってるんかい、と笑われる。そういう人だって、何をして暮らしているんだろう。個人主義、それはいいとして、昔あった人の存在感みたいな重たさはない。薄っぺらいどうでもよい人でしかなくなっていた。他人の不幸が面白い、その程度の価値観か。助け合い、繋がり、昔はなぜか必要があったからそうしていたんだろう。止めてしまえば、なにも困ることなどなかった。昔の人が考えた仕掛けでしかなかったんやね。

田舎社会のカラクリよ。それでも風力発電の被害を見れば、人の思うことにそんなに変わることはないと考える。由良町では55年前に赤痢が流行った。45年前はコレラになった。皆さん社会の限界状態を見たやないか。それで誰も死ななかったのはラッキーなことやで。由良町だけの非常事態を経験した。「由良町の人はこないでくれ」と言われたよ。何が悪かったんだろう。反省とか、検証はなかったのか。

どこかに秘密の匂いがする。畑地区の谷口さんらは風力被害を訴えて消されてしまった。まだ生き残りの人もいるけど、すっかり裏切って心変わりになっている。変身!、と宣言している。あの苦しみの様子はウソだったんかい、と笑えてくる。最後まで苦しみながら死んだ奴を見ているのに。今では皆さん、「風力の被害など聞いたこともない」と言っているからね。いいもの見たよ。

私の住む門前地区なんかもっとすごいで。私は村一番の旧家でしょ。アホにされようよ。もう笑うしかない。人々は喜んで笑っている。何がそんなに嬉しいのか、と私は書いてきたし、役場で散々訴えもした。警察の弾圧にも遭った。珍しいね、個人に対して国家権力が牙をむく。ヤクザ顔負けのドスの効いた言葉が投げかけられる。たまたま我家にいた海外の女子学生が泣いて訴えたはずだよ。

アメリカUSAの若い研究者は、きっぱりと日本の警察を拒否して、おまけに日本人のバカらしさを貶めて見せた。原爆落としてもっとやっつけてやりゃよかったんだ、とな。ここまで来たか、と思ったよ。由良町の人々が、どうしようもなく転落していくのを見たものさ。「なんで私を裏切ったんや」と今も思っている。風力の被害が明らかになった時、最初はみんなで抗議しましょ、と言ったやないか。

「アッ、そいつはアカン」私を指さして知人が言っている。怒りとも嫌悪とも、拒否の表情を見せて彼らは離れていく。アレアレ、どうしたんだい、と思う。去る者は追わず。元に戻ることはもうない。社会の破壊、というよりも、彼らはそれで固まっている。被害者も含めてな。本当に低周波被害に苦しんでいるのか? 東伊豆町でも同じことがあって、自称・被害者が「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っていた。

役場に協力しているんだというのだ。同じフレーズを畑地区でも聞く。私たちは先進地の東伊豆町を目指すのだ、と言っていた。アホに付ける薬はない。苦しみながら死んでいった人たちは何だったのか、と思わないか。「アホよら」と同じフレーズが飛び交う。家畜だね。人間社会の否定。地獄の風景だと分からなくなっていた。もちろんこのページは海外の人が見ている。風力業者が監視している。

見ないのは被害者だけ。谷口さんもインターネットはしなかった。直接、私のホームページを見たことはない。しかし、せっせとコピーして、谷口さんに見せて、「こんなこと書かれている」と心理操作する工作員がいた。それは風力裁判に繋がっていく。風力被害を訴える私が憎かったのだ。被害者を弾圧する、消し去る暴力が面白かったのだ。全国で、どこでもそうでしょ。地域の人々もその楽しみに賛同する。

国を挙げて低周波音被害、風車病を否定する。いや、人々は分かっているのだ。被害者がいて苦しんでいることぐらい分かっている。それが面白いのだ。ユダヤ人の虐殺を楽しんだのと同じ事だよ。その逆はない。ドイツ周辺では戦後、20万~30万人のナチス関係の人が復讐で殺されたとある。日本人の戦犯は何人殺されたんだろう。人の憎しみが分かるやろ。たぶん、日本でもぶり返しがあるんではないか。

明治維新ではそんな復讐劇を見たやないか。維新後になって、柳生藩の家老ら7名は引き出されて打ち首獄門にされた。他にもたくさんあるでしょ。風力発電の惨劇を直接見ているのは私だけではない。どこかで潮目が変わる。既にその人の悪意を、これでもかと見てきたやないか。