この本を読んでみた。

私は本読みでね、秋の夜長に、ついつい朝方までページをめくっている。この本はよく書けている。私も一人暮らしだからか、人が懸命に生きている姿に、なるほどな、と考える。ドイツの本はゲーテやヘルマンヘッセのように日本ではおなじみだ。日本にはない、ドイツ独特な言い回しの物語に、なんだか騙されてしまうんやね。ニーチェやEフロムなども同じ感覚で読んだ。それでかー、ドイツ哲学と言ったら大げさだけど、ÜberとかMenschenとか、意味深なタイトルになっている。

それもコロナウィルスでやられた今の社会を即興で仕上げているんだから興味津々で読んだよ。日本でもディスタンスdistanceというからね。昨日、王将ラーメンを食べに行ったら、客が離れ離れに配置されていた。なんかヘンな感じ。御坊市ではまだまだ、みなさんマスクが外せない。リスク、素早く周囲の客や店員をチェックして安全性を確かめている。菌が移ったら悪いからね。ニュースでは、新たに肺炎の菌が流行りそうだと言っていた。しばらくはこんな感じのままよな。

この本の最後には著者の関連本が書いてあって、風力発電の計画に沸いた村の様子、恐怖が描かれているという。私がこのページで紹介してきたように、ドイツでは各地のいたるところで風力反対、抗議デモが引き起こされている。コロナ菌と同じで、誰もが危機感を抱いている。それと同時に、これまで平穏だった人々の生活が急にボロボロと崩れ去る。日本では【社会が破壊されるんやで】と言われてきた。まさに同じことがドイツでも一般化されて映画化されているというのだ。

「ドイツに習え」と日本では繰り返し言われてきた。笑ってしまうではないか。日本では誰もその言葉の意味さえ分からない。学者や行政、環境運動家が受け売りの言葉で同じスローガンを叫んでいるのに、その意味を理解する日本人は誰もいないのかと不思議に思わないか。『Unterleuten』ウンターロイテンはまだ翻訳されていないみたいだ。私にはドイツ語で読み下す力はない。せいぜいがタイトルの「人々の下で」と意味を探る。

それはÜberも同じで、なんや哲学的やな、と感じるのだ。日本人にこの感覚はない。それが分からないんじゃない。Märchenメルヘンなのだ。夢見るドイツ人、という人もいる。だから日本の哲学講座なんか見ると、何のことかさっぱり分からない。考え方、と言うのか、発想、価値観の違い、上手く言えないな。とにかく日本人の感覚とは違うから騙される。イデオロギー思想というほどのものでもないのに。コロナ、風力発電、ドイツでは流行りの問題なんだろう。需要と供給。

商売上手と言ったら怒られるか。ベストセラーになっているという。ニーナビアポントの本も世界で売れているからね。大したビジネスだよ。日本人は物事を考えない。「考える会」なんてよく言うわな。『風力発電の被害』はそこそこに出回ったと思っている。しかし初めから各地では「土砂崩れが心配です」と言った偽物のキャンペーンが繰り広げられている。風車病、低周波音被害、と言った被害者に対する弾圧は、日本だけの特殊な社会風土にまで構築されていた。

日本人ってアホやね。誰もそのバカらしさが分からないとはな。自分たちが今、どんな状態に置かれているのか、被害地の人は理解する必要があるでしょう。物知り顔に、「低周波は測ってもダメだよ。法律もないし、日本は認めないから」という。ホンマかいな。これまで各地の風力地域では被害者は塗炭の苦しみに狂い死んでいった。それを人々は笑いものにして喜んでいる。土砂崩れが心配です、とか言ってな。最初から仕組まれた罠がある。そのことを懸命に伝えてきた。

人々の心を覗いてみると、もともと誰にでもある悪意とか意地悪な部分がターゲットにされて、麻薬のように弱い者イジメ、差別意識が面白い思考パターンになっていた。人権なんて意識はない。人の不幸が面白い。もはや言葉なんてモノの意味は失われていたのだ。風力被害に遭ってターゲットにされたら終わりよ。死ぬか逃げるか、黙り込んでアホにされるだけの末路がある。私一人か、止めろ! と言っている。エライ役を貰った。今朝の産経にはグレタさんの記事があった。

華がある、スターだよな。これが国際政治かと思う。日本は、ついに転落する。三島由紀夫の最後の言葉が思い出される。いや、彼の書いた小説なんてもう古いわな。日本はこのまま溶けてしまうのかい。風力発電の低周波音で耳鳴りがする。目まいがしてしんどいことよ。日本でも風力発電に反対しようぜい。キミらは騙されているだけなんやで。