風力発電の低周波音の被害は、水俣病にそっくりだと書いてきた。45年前、新潟県の長岡市でのんびりと学生時代を楽しんでいた時、図書館の新聞には盛んに水俣病の記事が連載されていた。長岡技大には全国の高専から生徒が集められていて、方言を聞くのが面白かった。北海道の人もいて、その人の実家に泊まって旅行した。
和歌山の我家にも何人かの学生が来たから、お相子か。ちょうど妹が女子大にいて、女子大生らも泊まりに来ていた。親はテンテコ舞いで大変だっただろう。嬉しそうにしていたけど。そんな夢のような時代だった。水俣付近の学生がいて様子を聞いていた。まだ若いのに慎重な言葉で「言ってはならないんや」とポツリとこぼす。
原田正純やユージンスミスが活躍した時だ。二人とも弾圧されたと聞く。日吉フミコも有名だった。水俣被害とは何か、と訴える。私は化学が得意でね。親類には化学科を出て化学工場を経営する者もいた。私は勉強が苦手なので土木科にしたけど、本当は化学をやりたかったんだよ。それでな、水俣病の被害システムはすぐに分かったよ。
風土病みたいな人災、特異な被害否定、御用学者というピエロが踊る。学者が、これほど地に堕ちたこともなかった。九大にはアメリカ人捕虜を生体実験して殺害した経緯があって、ベースがあったんだろう。血液を抜いて海水を注入するとか、GHQに断罪されたのに懲りないんだ。同じパターンがあることを見た。これは私だけじゃないだろう。
h24年の段階で、厚生省や環境省のページには、まだ水俣病を否定する記述があった。研究の余地があるというのだ。知らんよ、と逃げているのだった。r5年の今でも水俣裁判は続いている。一昨年、ジョニーデップの映画『MINAMATA』が公開されたけど、水俣市は拒否した。大体の日本人には理解されないんだろうね。
その地域の人は「水俣病」というのはどうか、水銀中毒とか、他に言い方があるだろうと言っている。まったく分かっていないな。いや、もちろん知っているのに頬かむりする。ドイツ人がナチスのことになると「私たちは知らなかったんです」というのと同じセリフだ。そのとたんにアホらしくなる。風力にしろ、水俣にしろ、被害システムを俯瞰できるのは私だけじゃないだろう。
健康被害、そのものを否定する学者は犯罪やで。水俣では、そんなこと分かった上で、堂々とそんなウソを積み重ねていた。水銀を測れない。測ったらアカンのや。測っても因果関係が分からない。公定法と赤木法。世界の笑われ者になっても、学者は動じない。行政も政治もな。被害を訴えるものを弾圧する。
ウソつきや行政、議員の人の名前は知らないけれど、原田正純やユージンスミスは世界的に有名やないか。貧乏に泣いたやろうな。今も、チッソ、チッソ、と人々は言っている。救いようはない。これが日本人の姿だ。福島でも、東電は、東電は、と言っているからね。放射能被ばくに苦しむ人はどうしたんだろう。更なる弾圧に逃げ出しているだろうね。
死んだ人もいるんでしょ。今や、風力被害、風力反対、と検索しても私の名前はどこにもない。TwitterやSNSでも、風力発電のコマーシャルで溢れている。被害者なんかどこにも無いのだ。面白い現象だね。あの水俣病でも、福島原発事故でも、被害者はかき消されてきた。政治だけで、行政だけで、メディアだけで出来ることではない。
実際、twitterに風力被害を投稿しても反応はほとんどない。Facebookなんか返事も来ない。日本人に関心は無いのだった。見ぬもの清しかい。由良町では風力被害の否定、被害者の弾圧が娯楽、レジャーにまでなって楽しませている。虐待が面白いのだ。人が苦しみながら死ぬ。その狂いように歓喜する。
手を叩きながら、ジャンプして、クルッ、クルッと踊ってみせる。ご苦労なことだよ。そうまでして喜ばなくて良いものをな、と思ってきた。私だけではないでしょ。被害者たち、心ある知人が見たら、それは許されざる犯罪にしかならない。畑地区には新築の家が目立つけれど、暗い空気に覆われているように見えるのは私だけではない。
死んだ被害者たちの怨念がまだ漂っている。私はまた、なんで今もこうして風力被害を訴えているのかと言えば、もはや個人の被害感だけではなく、そんな社会に対する嫌悪、取り返しのつかない地域の崩壊に黙ってなどいられないからよ。どうせ由良町の人はこのページは見ない。見たとしてもあざ笑うだけ。優越感に落ちぶれた嫌悪を見せる。
私は私で身分が違うと凝り固まっている。そんな奴は拒否しかない。面白いではないか。水俣にしろ、福島にしろ、何が被害かと言えば、実に被害を訴えるものに対する嫌悪の精神性でしかないことが分かる。環境省の被害調査報告書にある「精神疾患のもの」とする指摘は、まさに正鵠を射た、そのものズバリと言ってのけたのだ。
連名で学者たちの誇らしいページがある。ウソつきゴンボ。しかし誰も批判しませんな。それが嬉しいことなのだよ。トリックスターとして礼賛しかない。聖書にも同じ場面がありましたなぁ。神は何も言わなかった。そもそも人とはそういったものでしかないのかい、と私は理解している。互いに争い、憎しみあう。国レベルでは戦争になる。
テレビではウクライナやパレスチナの戦争ドラマが面白いじゃないか。世界共通の原理やで。水俣病は終わらない、と原田は書く。福島の原発被害も終わらない。見ての通りだ。その被害システムを見ながらの「風力被害」に日本人は嬉々として踊っている。なにが「土砂崩れが心配」だよ。日本人のアホさが爆発する。
人々は何でもいいんだよ、と言われている。もはや目的も理想もない。空虚な笑いに、何の意味もないことに気が付いている。もうすぐやな。お楽しみはこれからやで。