復讐について

今朝の産経には復讐の事が書いてあって、ユダヤ人の復讐劇を思い出していた。ドイツの敗戦で、ユダヤ人らはナチス残党を20万~30万人も処刑したというのだ。正確な数が把握されないという。いろんな本にそう書いてある。日本とは違うなぁ、恐ろしいことだと考える。日本人だって、大陸の日本人町が全滅されるなどすさまじい殺戮にあっている。戦争とはそんな悲惨な出来事に欠かない。後を引く。

イスラエルとパレスチナ、日本人にはどうしても分からない。テレビでは、訳知り顔で解説しているけれど、フンフン、と聞いているだけ。そういうこともあるんだろう、ということだ。今起こっている殺し合いに、何をどう言ったところで後戻りはない。人には二通りの人種がいて、人を殺す人、人を助ける人、があるってか。カラマーゾフの兄弟に出てくるんだとか。お気楽な記事よな。

この感覚が今の日本だと思うのだ。イスラエルなど地球の反対側で、我々日本にはほとんど影響はない。ウクライナの事もな。むしろテレビのニュースが面白く湧いているやないか。人の不幸ほど楽しいものはない。風力発電の被害で、散々見て来た日本人のやり方だ。前ページには、各地の風力被害者を消し去るために、嘘八百の心理トリックが仕掛けられている現実を描いた。

「いいように管理されるんやで」とは、何も風力被害に関してだけではなく、水俣や福島など、これまでの公害地域で強制的に行われてきた弾圧手法だ。テレビや新聞、警察や行政・政治の被害の隠蔽対策は、少し調べると、本当かい?と驚くばかりだよ。最近では福島の放射能被ばくの裁判で、コテンパンに消し去られたでしょ。twitterなどでも無茶苦茶な被害者への弾圧を見たじゃないか。

有名なコメンテーターが、こんな人だったんやと正体を見たでしょ。これが日本のやり方よ。それでその弾圧者たちは出世していくのだよ。政治判断、というより、日本人の価値観はどうなっているんや、と泣けてくる。私は、と言えば風力裁判でやられたからね、こんな弾圧を堂々と繰り返して出世した人を見ている。それを由良町周辺の人は現実を見て知っているんだよ。

なぜや!  と叫びたいのは私一人ではないだろう。しかし誰もいなかった。そのことを何人の人とも話したけれど、その人のことをよく知っている割には、そういう人もまたいるんやで、と呟くだけのことだった。添付した『復讐』の思想なんてどこにもないんだよ。だからこそ広島の原爆には「過ちは繰り返しませんから」と書くんだろうかね。アメリカはそんなお人よしなんかじゃない。分かっているじゃないか。

世界では、各地で烈しい風力反対デモが引き起こされている。人間感覚として受け入れられないのだ。それを否定する風力コマーシャルもスゴイことになっている。分断、いやいやもっと根源的な生活を守るための戦いだ。NO、 NON、 NEIN、 KEIN、強烈な否定の言葉が定着する。ハッキリとした根拠に基づいて人々は判断する。これが日本との180°違った、真逆の精神を見るのだ。

どちらが良いかだって? もともと風力なんてペテンのイカサマよ。そんなモノに日本人は騙されて、被害者を弾圧して喜んでいる。この構図の理解は、日本人にも広がっているんじゃないのか。各地でやっている環境運動家とは、結局は風力の手先でしかないことが分かっている。有名大学の先生を連れてきて、「土砂崩れだ」と言っている。なんで誰も笑わないんだろうか。アホ言え、と言ってやれよ。

いつもの名誉棄損で訴える、と言われるから誰とは書かないけどな。幕末の、安政の大獄になっているんやで。150年も前の時代に、逆行している日本精神の退行を見よ。いつか見た風景、既視感に安心するのかもしれないね。懲りない日本人論に落ち着くのかい。明治政府は、結構粛清を実行している。柳生藩の家老ら7名を引き出して打ち首獄門にした。目付だろうが隠密だろうが、歴史の闇に消されている。

由良守應は牢獄、追放と記録されているけど、密偵として働いたと聞いている。何をしたのか一切の記録は残されていない。けど、江戸城の清水御門前に4291坪の宅地を賜っている。ちょこっと顔をのぞかせるのだ。どこかに小判が埋められていないか、生き残りをかけた幕末明治維新に情報を探している。桶町の千葉道場の門弟たちと牛乳屋をやっていたというのはカモフラージュだ。剣術使いが百姓のマネごとなんかできるものかいな。