社会の分断、あるいは分裂

風力発電の被害を書いてきて、日本と世界では真逆の様相を呈している事実を示した。「風力反対」と言っても実際はスパイ工作員による地域対策が支配する。すでに風車が建って被害者がいれば徹底的に弾劾する。割と簡単に納得して消えていた。なんと聞き分けの良い人だろう。家族の人や、周辺の人でも、同じ被害感のある人でもまるで抵抗はなかった。役場から指示されるようにしていれば、いいように弾圧できたのだ。

なかには自分で風力の資料を集めて講釈する人がいた。ただの物知りで、被害者がどうした、なんて考えはない。地域には大学を出た人も10人や20人はいる。国立大の工学部教授をした人もいた。その人と話したけど、全く話が通じなかった。その人の兄が風車の真下に住んでいて被害に遭って苦しみ死んでいく。それでも何も感じないらしい。畑地区独特の闇を見る。いや、それは新潟の長岡技大でも同じで、風力発電の研究とかで懸命になっていた。

とても低周波被害の話は聞いてはもらえない。頭の良い、上澄みのような生徒が残って先生になっているはずなのにね、私は「アホか」と言葉にしていたよ。同じことは水俣市にあって、日吉フミコや原田正純が活躍した。一時の奇跡があった。国家権力による弾圧、水俣学と言われるほど苦悩した。風力被害では、汐見教と言ったからね。体制派がバカにする言葉は、どこか突き抜けた真実がある。

今はさ、「水俣学において~」とか言う学者はペテンもいい所でな、当時とは真逆の被害否定に転じている。取り巻きのお花畑もプロの環境運動会よ。地域対策の花園になっている。これがまた風力反対の原型やな、と気が付くのだ。「考える会」という地域対策は、もう皆さんはどんなものだか知れ渡っているでしょう。由良町で言えば、これだけ風車病に苦しみ死んでいく被害者を見ながら「土砂崩れが心配です」と抜かすんやで。

どこにその土砂災害があるんだよ。すべて作り話、言葉のすり替えやないか。それでその人の魂胆が丸見えになる。いやいや、初めから低周波被害を否定しているから風力の手先として派遣されたんやな、ぐらいのことは分かっている。悪党メ、人間性の欠片もない悪意の塊を見る。結局、誰も風力発電の低周波音被害を言葉にすることができなかった。役場や警察に助けを求めたとは聞いている。そして私にだけじゃないだろう。

やはり地域の親しい友人知人に被害の苦しさを話したことだろう。病院などでは詳細に被害内容を聞いたはずだ。近くの親類とか、兄弟とかにもな。私もそうしたから、世間というものがなぜ1㎜も動かないのか、空しい苦しみに狂ったことだろう。それどころか周囲の虐待が始まっていた。「あの人、悪いらしいで」という烙印だ。差別の対象にして弄ばれる。「どんなになるんよ?」と物珍しそうに聞きに来る。

そして笑いものにして喜ぶのだった。私も何度となく体験した。2、3度それをやられると、うかうかと自分の症状を話すことはできなくなっていた。水俣病でもそうでしょ。カタワモノだよ。穢れ者よ。それほどに弾圧の言葉は深く心を傷つける威力があった。たぶんマニュアル化されている。知ってか知らずか、その言葉を言うことで自分が優位にあると実感するらしいのだ。自己実現の喜びだね。昔からある差別構造だ。お馴染みの社会心理よ。

ここで不思議なのは、海外なら被害が明らかになると地域の人々が協力して「Stop wind turbines !」(風車を止めろ)と言って烈しい抗議運動になっている。日本では、なぜそれが被害者の虐待、弾圧に転化されるんだろうかね。私に面と向かって「風力の被害など聞いたこともない」と吐き捨てる。その勝ち誇った姿に、アレアレ、どうしたんだい、と驚いている。風力被害を否定することが嬉しいのだった。被害を訴えるものは許さない。

ワシらは面白うてならんのや、と絶叫する。これまでたくさんの狂気を見たものだよ。「ウソつくなっ!」とよく言われるけど、すべて本当の話だ。日本人とはなんとアホにできていることよ。私の書いた『風力発電の被害』など嘘が書いてあると散々よ。すべて事実だと言っているけど、由良町では誰も受け付けない。それを見たら目がつぶれるとでも思っているんだろう。憎しみだけが露わとなる。なんで❓ と私は訴えて来た。

それほどの感情を見せるんだから何か理由があるはずだよ。ない。どこにもそんな被害者を弾劾する根拠は無いのだ。むしろ事実は事実として何が行われているのか、社会分析に関心があっても可笑しくはない。風もないのに風力発電が勢いよく回っている。あるいは一つだけ回っていて他は止まっていたり。奇妙な風車の回転に目が回る。電気仕掛けの演出だ。心理トリックなんだよ。詐欺、カネ儲けのダシでしかない。検証したこともないでしょ。

役に立たないことは初めから分かっているんだよ。何のために❓という現実だけがある。社会はすっかり分裂してしまっている。被害者も人なんだよ。被害者は消えてなくなれ、ってか。社会の末期症状だとは思わないか。何の役にも立たない風力発電に多額の資金を投入する。実際はプラモデルの組み立てと同じで、そんなに費用は掛からないと思っている。カネのやり取りを演出するパーツだ。

作業道路などの簡略を見れば、仮設道路、今だけの利用が見え見えよ。ハリボテの舞台装置なんやで。風力発電の低周波被害に遭うとヘンな人になる。ヒステリックに、高揚感とか、あるいは精神にダメージを受ける。各地の被害地で見ている通りだ。それが面白いというか。被害を否定するか。日本だけ、なぜそうなのかを反省して見ないか。