土砂崩れが心配です、という心理トリック

風力発電の詐欺は、どこを取っても破綻しているし酷い有様を見せている。窓を開けてみな、巨大な風車を回す風なんか吹いてはいない。定格出力2000kwなんてウソっばちなのが分かるでしょ。近くに行くと轟音を上げて回っている。なんで? と不思議な現象に気が付かないか。風もないのに勢いよく風車が回っている。ブレードの先端は300km/hrの速さを見る。新幹線並みの速さだよ。とても自然エネルギーじゃない。大芝居やな、とカラクリに気が付くのだ。

低周波音を測ると、風車の回転により40dbもの音圧差になる。対数表示だから10000倍のエネルギー変化だ。環境省の報告では、風車由来の低周波を測っても、周囲に影響はないと書いてある。あるいは風車由来の低周波は観測できなかったとか。オチョクリ。国の機関が、ここまで風力被害を否定して、被害者を弾圧してきた事実は、他の公害事件、例えば水俣や福島の被害と同じやり方で隠蔽工作を重ねてきた。

何のために? 低周波音の被害は悪いことは分かっている。闇雲に被害を否定して、被害者の責任に帰す、なんという非道であることか。由良町では初めから風力被害に苦しむ人は徹底的に弾圧された。既に東伊豆町などで実績があったからね。自信をもって被害者は叩き潰されていた。2018.1/22日、1/20日のページにある録音を聞いてみな。この時にはすでに地域対策が行われていて、私は完全に排除されていた。

被害者たちはいいようにコントロールされていた。前ページにアップした谷口語録にその一部がある。感動の、悲惨な弾圧政策があったんやで。人々のなんという冷酷な仕打ちよ。恐怖はレジャーとして人々の楽しみの話題になっていた。発信元は役場だ。各地の風力被害地とも連携していたようだ。当初は多い日で4、5件の問い合わせの電話が殺到したという。環境運動家や、これから風車建設が始まる周辺地域の人からだろう。そのことを役場は否定している。

「風力発電に関する問い合わせの電話は一件もありません」とな。その答弁に笑ったよ。よくぞ言った。万引きと同じで、一回やると後戻りはない。ウソつきの仲間ばかりだから楽しかったんだろうね。それを聞いた被害者は腹の底に黒い塊が広がっていったことだろう。被害者たちは私を憎むようになっていた。決して役場じゃない。「由良さんのセイでこうなった」と何度も聞かされてきた。哀れな被害者たちの弱さを見る。抵抗することができなかったんかい。

なんで私を敵視するようになったんだい。「役場は初めからチャンと対策するように考えていた。それを由良さんが壊してしまった」という。ホンマかいな。被害者を集めて「考える会」が出来ていた。秘密結社、カルトだ。2019.2/7日のページにその時の録音があるから聞いてみたらよい。恐ろしい被害者たちの最後が記録されている。人が死ぬんやで。なんでそれを笑いものにして喜んでいるのか。目の前で起こっている惨劇を、人々は喜んでいる。

この理不尽な弾圧を全国に伝えなければと考えた。しかし全国各地で同じ悲劇が、喜劇となってレジャーになっていた。ユダヤ人の殺戮みたいやな、と思ったよ。各地の風力被害者から電話があって、私を名誉棄損で訴えてやるという。アレアレ、すっかり出来上がっているやないか。由良町でも同じことだからね。被害者の狂いようはよく分かったよ。【被害を訴えるものは精神疾患のものである】環境省は上手いこと言う。環境運動家たちは大喜びだ。

日本だけが、すっかりやられましたな。海外では地域の人が協力して反抗を見せている。日本だけ、それがない。日本では風力反対運動でさえ、本当の被害を隠蔽するためのトリックになっている。二つあって、学者による意味不明の低周波論議、そして「土砂崩れが心配です」というものだ。この表現が果たす機能を理解できるか。最初から新聞や環境運動家が繰り返し言ってきた理由がここにある。

私は土木技術者だから、風車建設で土砂崩れのないことは知っている。建設会社がそんなことしたら指名停止になる。【心配です】という心理コントロールだけがある。彼らは真実の被害を隠すために「土砂災害」をスローガンにしているのだ。言葉のすり替えよ。反対、と言いながら低周波音被害に苦しむ人に対して罪悪感は無いのかい。低周波音被害の否定、これが目的のトリックだよ。

全国に展開する自称・風力反対は、実に風力発電の本当の被害を否定する心理コントロールであった。だからそんなもの集めて全国大会だと言って政治家がスピーチすると、臭い匂いの立ち込める肥溜めでしかないものを見る。大体、こんなにも被害者が苦しみ死んでいるのに、「止めろ」(Stop wind turbines!)がない。風力発電の推進に向けた大芝居よ。海外では早くから「OFFSHORE NOT ONSHORE」(陸ではなく海に作れ)と言われてきた。

どこでもよいのだ。カネになればよい。ただしここでも海外では烈しい抗議デモが起こされている。クジラが大量に死んだリ、漁業だけでなく、不気味な自然破壊が進行しているのだ。日本にはこんな理解も何もない。たんに風力の手先が環境運動会を主催しているだけよ。夕日がきれいです、とかね。日本人の思考のなさ、言葉もなければPhilosophyもない。太平洋戦争で見せた思慮のない民族性だけが続いていた。プロパガンダに踊るだけよ。

自己家畜化とか。被害地域を見ての通りだ。風力の被害など聞いたこともない、と言っている。恐ろしい現実に、なんで誰も何も言わないんだろうね。風もないのに風力発電が回っている。演出、デモンストレーションのために低周波音被害に苦しむ人が弾圧されて死んでいく。人々はそれを見て面白くてならないという。私も段々面白くなってきたよ。