罪悪感や疑問はないのか。

由良町で行われた風力発電の被害を伝えてきた。youtube動画にもたくさんそれが溜まってきて、段々に人々の関心が薄まっていくように感じている。水俣や福島の被害と同じだ。初めは「わっ」と思ったことでも、次第にその驚きが消えていく。まだ言っているんかいと笑われる。ええ、低周波音の被害で耳鳴りがするし目まいとしんどさで苦しいのだよ。低周波音被害は慣れることはない。

中毒症状みたいに、例えば重機やバキュームカーの低周波音にも敏感に反応する体になっている。内耳の器官が破損しているのだ。私はまだ生きているけど、苦しみながら狂い死んでいった被害者を何人も見ている。それを人々は笑いものにして喜んでいた。噂話、世間話に花が咲く。「怖い話やけど面白いわな」と笑いあうのだ。私らには関係ないわな、と喜び合う。こうなるとレジャー感覚で差別を楽しむのだ。

被害地の人はもちろん喜んでいる。風力の被害など聞いたこともない、というんだからたまらない。h23年、親父から「ほっとけ、相手になったらアカン」と言われたとおりになっている。その前年に風力反対の署名運動があった時、畑地区だけが拒否して署名しなかった。実は私もしなかったけど、それには理由があって、白紙に署名捺印しろ、というから断った。そこには何の趣旨も目的も書面すらなかったのだ。

私の住む門前地区ではそんなことが通用してほぼ全員が反対署名(❓)したはずだ。それなのに今は誰もが風力被害を否定して私を敵視して喜んでいる。理由は何でもいい。私は先祖の血が蘇ってきて、そうか昔の武家の誇りやな、と信じるしかなかったんだよ。千年前に京都から都落ちしてきた時もこんな感じだったんやろう。由良守應も牢屋暮らしをしているし、風力裁判で笑われてもべつに意志の変化はなかった。

(守應は陸奥宗光と宮城の刑務所で三年間過ごしている)。原告のアホらしさを見ただけよ。罰金40万円か。下関の風力裁判では1500万円と聞いている。その他の風力裁判でも、被害を訴えるものは皆コテンパンだよ。その中の一つと考えれば、まぁまぁの出来かな。谷口愛子さんの最後のあがきの続きだったので、義理は果たしたと考える。最期の葬儀の席にまでやっていたからね、「まだ言うてるんかい」と言われてはやるしかないわな。

それほどに彼らの悪意は煮えたぎっていたし、親父らの言う差別地域の汚さをこれでもかと見てしまった。人々はそれが面白いのだよ。やっと分かったかな。気付くのが遅いよ。別ルートの知人から「あの人、風力でだいぶん悪いらしいで」と聞かされることがあったけど、もう私にはその気はなかった。苦しんで死ねばよい。『風力発電の被害』に書いたように、h24年、汐見先生からは被害者の話を聞いてやれ、と言われていたけれど、実際はそんなこと私には出来なかった。

汐見先生だって各地で無茶苦茶言われていたやないか。由良町阿戸地区で講演した時なんか、ボロクソや。もちろん畑地区では共産党やで、と吐き捨てられる。ご自分たちが共産党にいいように振り回されているのにそれが分からない。彼らには言っても分からないし、私への敵意だけがあった。「ほっとけ」相手になったらあかんわな。いつしか門前地区でもそうなっていて誰とも話すことはなくなっていた。

悶々と思索の百姓仕事だよ。変人。さぞや人々の嘲笑の的になって喜ばれている。ご自分たちの方こそ脳梗塞になってヘンな人になっているのにね。自分で被害感が分からない。社会の崩壊? そこまで気が付く人なんか誰もいない。私の書いた『風力発電の被害』なんて何度投げつけられて叫ばれたことか。アホか! とな。ええそうなんですよ。私はまだ生きてこんな文を書いている。

苦しみながら表現する言葉もなく死んでいった被害者たちを見ている。まだまだ私は運が良い。人種が違う。千年前と同じ感覚だね。添付した海外のイラストにもstress, tinnitus(耳鳴り), Fatigue(疲労)とあるでしょ。世界中で共通の被害なんだよ。いや、本当はさ、みんな知っているんだよ。だから笑いものにして喜んでいる。人の不幸が面白い。日本人の原理主義が現れる。

人を貶めて喜んでいる。こんな幸せ感もない。各地の自称・風力反対では「土砂崩れが~」と叫び続けている。彼らのスローガンには心理コントロールのトリックがあって誤解、倒錯へと落とし込む。見事な地域対策だ。そこには海外に見られる「Stop wind turbines」の言葉はない。風車病なんて、低周波被害なんて、聞こえない音がうるさいってか? そんなことあるはずがないだろう。

大声で笑いあえる悪党の喜びがある。症候群、シンドロームって何のこと。よく分からないね。自然の風を利用するんだからいいじゃん。SNS、 twitterなどではついに風力発電の被害や抗議がなくなっていた。日本だけなんだがな。特殊地域だよ。アホにされて喜んでいる。カネと電気が有り余っている。過ぎたるはカネと電気の日本社会。由良町で言うと、町民が使う電気より、風車を回す電気代の方がはるかに多いだろう。

余っているから捨てている、利用しているだけか。演出、デモンストレーションだからね。日本では誰も言葉にしないから、それ言ったらお終いョ。アホと思わないかい。カミカゼ特攻隊、自爆攻撃みたいやで。ジハード聖戦とどう違う? お国のためやってか。カラッポ。何もないんやって。