弾圧の限りを尽くす。

今朝の産経を見て、ユーチューブに投稿された中国漁船の写真があった。政府が秘密にしているものを当事者がバラしたらあかんわな。守秘義務がある。公務員でも企業でもそれは同じだ。被害者がいて、それがトンデモナイ事件になったとしても、黙っていたら何のことやら分からない。情報とは、こんなにも重大なことなんだと明らかになる瞬間だ。

キミならどうしますか? 私は、建設コンサルをしていたので、風力発電の秘密が分かっていた。各地の行政マンも同じ業務なんだから知っているだろう。環境省や厚生省だって、海外の資料を取り寄せれば、日本でいかに隠蔽工作をしても砂上の楼閣でしかないバカらしさは見え見えになる。ところが実際は、私だけが真実の被害を訴えていて、他の技術屋とか役人は黙り込んでいた。

私が卒業した和歌山高専や長岡技大なんか酷い有様でな、風力発電の発する低周波を測ったらアカンとカチンコチンに宣言されたのだよ。新潟でやっている風力実験に参加しないか、とも言われたものさ。長岡技大では東大の下請けで風力実験をしているらしい。論文が書けるし、賑やかな交流になっているらしいのだ。

私も技術開発部にいたからね、組織的な仕組みがよく分かるのさ。人的被害、低周波被害なんてあるわけない、と決めつける。反抗する人はいないんだろうかね。その近くには新潟水俣病やイタイイタイ病の実績がある。魚が食べられない。奇妙な伝説が、とても気味悪く語られる。北国特有の暗い精神性に、裏日本の風土を見る。田中角栄の時代にはエラク賑わったんだけどな。

その縁で技術科学大学が出来て、私でも大学生活を送ることができた。この記事には忠臣蔵の事が書いてあって、武士道だとか、日本精神だとか生煮えの論理が続いている。我家は旧家だからこんな文を見ると、新しい武士論やな、と思うのだ。やったら、やり返すとか、基本的な感情論か。だったら今の日本でやっている閉塞感や弾圧の実態を書けよ。

古文がどうした。プライドは行動しての成果やで。昨夜は風力発電の低周波音がとてもキツカッタ。シーンッ、ジンジンと耳鳴りがする。目まい。風車病の苦しさよ。他の人は本当にどうもないのか、と同じ言葉を聞いてきた。誰も反抗する人は出ない。重症で死ぬ人はお気の毒さま。役場はほくそ笑む。地域の悪党はこんな愉快なことはない。人々の正体が明らかになる。

人の不幸が面白いのだ。「そんなことあるわけがない。オマエは間違っている」同じ言葉が繰り返される。風力発電の真下にある人たちに、何も分からないはずがないではないか。それが面白い、というのだった。東北や北海道の風力発電が林立する地域でもそれは同じで、風車の本数が多いほど低周波音の増幅、共鳴があって、それはすごい音環境になっている。

測定したらアカンのやで。洗脳されると、いや、もともとがヘンな人たちでしかないんだが、家畜のようにいいようにコントロールされて満足する。人間としての意識はないんかい、と不思議に思うのは私一人なんだよ。じつに思考とかPhilosophyについて気が付くきっかけになった。日本人だけなぜな! と考える。以前、南伊豆町に住むイギリス人のエリザベスさんがカンカンになって怒っていたよな。

日本人はどんな被害に遭っても笑っていた。もう被害を言う人はいません、とな。由良町と全く同じ被害のパターンを見る。行政や政治、事業者とともに環境運動家という悪党がいる。水俣でも福島でも反対運動はないでしょ。巧みな弾圧政策なんだよ。被害者は協力して反抗すればよいのにね。地域の人はナンで被害者を差別して弾圧するんだろうね。

ドイツやフランスの風力反対を見ても、それが正反対になっている。世界中、どこでも同じ事なのにね。日本だけが風力ファシズムになって、被害者を消し去って喜んでいるのだ。まるで生贄の儀式のようにな。カルト、狂気、カタストロフィーか。人々はそれが面白いと言っている。アホよらアホよら、と言って笑うのだ。それを地獄の風景と驚くのは私一人なのだ。

どちらが、というよりも、答えは初めからある。150年前の明治維新は、志士たちの饗宴であったと思っている。生き残ったものも死んでいったものもな。