風力被害、確信的な弾圧が面白い。

SNS(Social Networking Service)の普及で、日本人の知的水準は低下したという。そうでもあるし、世論操作とか陰謀論には閉口している。情報集めや面白ニュースには有効だけどな。お花畑、というバカらしさを見る。日本では、グレタさんの真似してか、オウムのように受け売りの言葉を繰り返す環境運動家がたくさんいる。有名大学とか環境省だとか、権威にすがる様子は『服従の心理』に書いてある通りやなと見ている。

水俣や福島の被害は有名だから、それらの権威は何の役にも立たないどころか、被害者の否定にこれでもかと悪意を見るでしょ。最近では原発の処理水放流に頓珍漢な記事が多く出回っていた。恥ずかしくないんやな、と横目で見る。福島の人も何か言えばよいのにね、皆さん黙りこくっている。言いたい放題だよ。放射能被ばくで被害に苦しんでいる、なんて言ったらもう非難轟々の嵐だよ。可哀そうにな。

水俣でも同じ風景を見たでしょ。私は、それを由良町で見て、なんと、ナント、人って、こんなにもアホなんかと驚いたもんだよ。そして被害者に対する憎しみの酷さに、風力被害の以前なら考えられない悪口の発言に、その人の本質、正体を見たのだ。こんな人やったんや、とな。それがまた弾圧する方は確信に満ちている。なんせ役場が付いている。国家政策として風力発電を建設している、被害などあるはずがない。

反対する者はキチガイだ。いろんな摺り込まれた言葉で被害者を弾圧して怒っていたのだ。いやいや、嬉しかったのだと見てもいる。社会なんて脆いものだった。道徳や倫理、正義漢などどこにもない。現実に目の前で被害者が苦しみながら死んでいく。人々の言葉は到底許されるものではない。この落差が面白いし、ヒステリックに目を吊り上げて叫ぶさまは鬼瓦に見えたよ。だって私はピカピカの被害者だからね。

音に敏感になっているだけじゃなく、人の感情、怒りにも過敏に反応するようになっていた。ワアッ、と恐れおののいたよ。普通の人と思っていた人がだ、いきなり被害者のこと、私に向かってボロクソにまくし立てるのだ。風力ファシズムという権力に繋がると、こうまで居丈高になるんやね。昔の憲兵やっていた人みたい。少し古いか。でも戦時中、各地の憲兵は諸悪の塊だったでしょ。

戦後もそれは変わらなくて、戦争を知らない私から見てもなんかヘン?と思ったものさ。末端の権力感覚で頭をやられたんだろう。とくに田舎者は自由自在に操られる。正邪の判断基準なんてない。アンドロイドになるのだ。Twitterには風力被害を訴える記事は消えてなくなっている。土砂崩れが心配です、と言いながらそんな現実はどこにもない。言葉のトリックだ。心理操作なんだよ。呪いと言ってよい。

風車病、低周波音の被害を否定するためのマントラだ。各地の自称・風力反対では、実に学者や環境運動家が集まって同じセリフを繰り返す。カルトやないか。自然環境を守るんだという。アレレ、低周波被害に苦しむ人はどうなるんや。否定があるだけかい。その上で風力発電は必要です、と結論するからね。なかには低周波音の発生メカニズムを執拗に説明する人もいて、それが間違いであることを知らずに(知っているかもしれないけど)、何の意味があるのか本人にも分からないようなのだ。

私にとっては時間の無駄としか思えない。お花畑の典型を見る。なにも暇なオバチャン特有のものでもないらしい。「聞こえない音で煩いってか。そんなことあるはずがないだろう」というのと同じ世界だよ。ジャーナリストたちが言っていたように、【社会が破壊されるんやで】を目の当たりに見ている。大半の人は被害感はないから面白おかしく見ているだけか。被害者は堪ったもんじゃない。死んだらお終いになる。

その被害者の死を人々は笑って喜んでいる。これって、普通の事じゃないでしょ。それが分からなくなっているんだよ。だから由良町では皆さん私に向って、「オマエは間違っている」と叫ぶんやね。それも感情を込めてな。なかには真っ赤な顔になって、目から涙をにじませて言う人もいるからね。異常だわな。しかし誰もその不思議な状態を言葉にすることはない。思考がない。何が? という考えがないのだ。

その割には【風力】というだけでピンッ、と緊張するけどな。よく躾けられたものだよ。由良町の周辺で、広川町でも日高町でも印南町でも同じことになっている。上流の日高川町なんかでは睨みつけられるよ。恐ろしい風景を見る。誰も何も言わないんやね。これと同じ事が東北や北海道の風車林立の町にあるんだろう。まるでカルトの町だよ。オウム教の上九一色村みたいやないか。

たくさんの被害者がいるだろうに、誰も手出しができないんやで。人々は大喜びしている。検索したらいろんな喜び組のサイトや動画が溢れている。ここまで狂喜に満たされるのかい、と由良町と比較する。同じ原理を見る。外から見ると、よくもまぁこんな所で生活できるな、と思うけど、そこの人には何のことやら分からない。囚人生活なのにね。絶えずネジを巻かれているんやで。

水俣や福島みたいに、もう元に戻ることはない。低周波音は頭をやられる。その上での洗脳政策なのだ。電話して聞いてみたらよい。由良町にもたくさんの問い合わせがあった。「そんな問い合わせは一件もありません」とさ。各地の自称風力反対運動は、実はニセモノで、地域対策の作戦の一環だと書いてきた。同じようにSNSやインターネットの世界でもペテンのサイトで占められている。

風力発電の低周波音の被害とその弾圧を訴えるのは私一人になっている。孤立、孤高、独りぼっちだよ。海外では烈しく風力反対デモをやっている。日本人にはどうしてもそれが理解できないでいる。それよりも被害者を弾圧して排除する方が面白い。長いものに巻かれろ。寄らば大樹の陰。気が付けば、すっかりファシズム、全体主義の日本になっていた。いつか見た風景だよ。

私もそろそろ身の安全のために雲隠れしようと思っている。このホームページでは、汐見文隆医師から伝えられた低周波音の被害を書いてきた。いろんな人の協力もあった。有難りがたかった。終焉を見るのは、まだ先のことになりそうだ。