環境省報告書の原点を見る。

「移動発生源の低周波音等の~」という環境省の報告書にある「精神疾患のもの」の原点を発見した。被害を訴えるものはキチガイだと言うんだから国が書く報告書としてはピカイチのアピールだ。しかし誰も何も言わない。環境運動家たちはとくに口を噤んでいる。もともとが風力の手先だから被害側をやっつけるためには何でもやる。国家権力の末端になって彼らは自信たっぷりやないか。

もちろん今もそうやって全国各地で嘘八百のアピールを繰り返している。そんなモノを集めて全国大会だという。お花畑は大喜びさ。SNS、twitterでは被害は隠蔽されて「自然環境」、「土砂崩れ」、水源がある、なんてバカバカしい言葉の羅列を繰り返している。オウム、パロットやな、と思うけど、批判する人は見たことがない。実はこんなお花畑も地域対策、心理工作の一環だ。

「考える会」と同じことだ。私から見ると痴呆症か、言語障害だろうと考える。人は、上から役割を与えられるとこうもアホになれるのだ。『服従の心理』にあるとおりだね。1969年辺りに発表された小説『日本の悪霊』の最後にその言葉はあった。環境省の役人にもその時の記憶があったんだろうか。権力が欲しない以上、どんな被害者があろうが、それは精神病者だとある。

水俣や福島の被害者否定とまるで同じ書き方だ。政治的にも経済面でもそれは同じで、八百長は付き物だ。そんなことは日本人なら誰でも知っていることで、何も今さら私が喚かなくとも、当たり前の社会現象だというのだった。結論を言ってしまえば答えは初めからある。ジョニーデップの映画『MINAMATA』は日本にはなじまない。水俣市が拒否してたからではなく、そこに住む人が信念を持って外人感覚だと思っている。

ユージンスミスの被害写真は世界的に有名だ。何が悪いのかを具体的に示した。それに対して日本は慰霊碑であり水俣宣言で幕引きを行った。「水俣病は終わっていない」と言っても通じない。それが日本のやり方よ。【被害なんか聞いたこともない】という。どこでも同じパターンでしょ。これに立ち向かったのが日吉フミコや原田正純だったと聞いている。議会では、日吉フミコは何度も懲罰に掛けられて弾圧に泣いている。

やられっぱなしだ。由良町で私もやられたからね。人々は大喜びだよ。風力裁判では、警察や裁判所、弁護士がどんなに汚いのかも見た。各地の風力裁判の被害者とも話した。皆さんボロボロにやられている。これが国の権力だよ。警察って汚いね。由良守應の牢屋暮らしと追放、宮城の刑務所暮らしを聞いていたので助かったよ。昔も今も、権力のやることは変わらない。私も時代の捨て石か。

h18年の東伊豆町の風力被害を見るがよい。あれだけバカ騒ぎしながら、ヘンテコな環境運動会になって、今では被害など聞いたこともないと言っている。誰が裏切っていたとか、役者だったとか、何人かの人に聞いてみたけれど、どこまで行っても結論なんかない。窪田泰が言っていた「ウソつきばかりだよ」となる。苦しみ死んだ人はご愁傷さま。

せっかくの高価な自宅を捨てて逃げ去った人、それをまた土砂災害が心配でというすり替え論理にボロクソに排除されていた。なぜその弾圧風景を伝えないのか。私の書いた『風力発電の被害』は、彼らの被害報告書が原点にある。あと一歩、日吉フミコや原田正純はいなかったのかい、と汐見先生や窪田さんの追放を残念に思う。悪意だけが残った。今も「風車の町」と自慢する。

その精神性に気持ち悪いと思わないか。由良町も同じなんやで。人々が風力被害に手放しで喜んでいる。アホよら、アホよら、と笑っている。なんと幸せな人々よ。海外では正々堂々と「Stop wind turbines !」と言って抗議運動を展開する。逮捕劇、差別感情、度重なる弾圧はどこも同じらしいけどな。それでも人々はへこたれずに抵抗を続けている。人間の証明だ。

本来、民主主義とはこうあるべきなのだ。日本の民主主義は海外のものとは「ここ」が違う。上から与えられたものなのだ。生活保護も、まじめにコツコツ働いた人よりも高額な支給があると聞く。年取っての年金生活なら特にそうだよな。何で働かん人の方が多いんや? となる。人の心には闇の部分があって、それをターゲットにされている。支配技術だ。その成れの果てが由良町のような風力被害地だと書いてきた。

被害を訴えるものは精神疾患のものだという。誰も関知しないし、差別社会の構築にむしろ喜んでいる。それぞれの被害者は個々にファイルされていて、攻め方が決められている。人間破壊のマニュアルだ。地域の人々は社会的に大喜びして虐待した。初めから裏切り者はいたからね。踊らされるわな。言っとくが、重篤な被害者は弾圧もあって泣き叫んでいたで。

大阪から別荘生活を楽しみに来た人は、人々に対する蔑視、敵意を見せた。誰も怒らないね。ニヒリズム、空虚があるばかりよ。風もないのに風力発電が勢いよく回っている。その近くに行ってみな。これは違うな、と詐欺のカラクリに気が付くはずやで。戦争やって人が殺し合いをするよりマシか。私は同じことだと見る。社会の破壊。個人の否定。風力ファシズムとはよく言ったものよ。

日本人は何も考えない。せっかくのIphone、タブレットも電話と時間、天気予報だけだ。検索して何物かを思索することはない。大学を出ても、何も考えられないとはな。これが外人と日本人の差だと思う。明治維新の時はそうじゃなかったんだけどな。わずか150年でこうまで堕落していたのだ。その時の上海や香港のようになっているんだろうね。これが歴史の波だとは思いたくないけどな。