風力発電の被害地を見て、やるか、やられて消されるのか、どちらかしかない現実に気が付いている。被害者の中には当然、結果論のようにして人々の心模様を見渡す人もいるだろう。今では達観して、「何言ってもアカンて」と笑う人もいる。勝ち誇ったというより、負け犬、それが被害者ならなおさら醜い後ろ姿になる。人間失格だ。私から見ると、もはや話しの仕様もなく、ツマラナイ年寄りよ、となる。
少しだけ抵抗して見せて、あっさりと引き下がる。聞き分けの良い、抵抗しない、力のない人やったんやね。それがまだ生きているから運が良かったのかい。すっかり生活の質は落ちて、有害な低周波音の苦しみの人生だっただろうにな。谷口さんらの被害者の死を見ながら、助けを求められながら、何一つ主張することはなかったんかい、とそれが不思議なことだと感心する。薄っぺらい人、家畜でしかない。
人間とは何か。社会の必要性なんて考える余裕もない。みんなと一緒、だってか。彼らの言葉には言い訳ばかりが零れ落ちてくる。それと私に対する嫌悪、憎しみの深さだ。風力事業の加害者側と違って、鬱屈した奴隷根性の塊になっていた。やはり勝つ方に付かなければな。被害のあるなしに関わらず、体制派、役場の言うことを聞いていれば大きな顔していられるのだ。人々の嬉しそうなことよ。
差別社会とは、こんなにも社会に安定と平和をもたらしてくれる。言いがかりの差別と違って現実の精神被害だからね。無茶苦茶な烈しい言葉で被害者を叩きのめす。こんな面白いカラクリもない。ストレス解消には人を貶めて殺してしまえ。役場がやっているんだから誰も止めようはない。褒められるばかりだよ。それで地域の一員として迎えられるのだった。悪党ほど風力の恩恵に浴したものはないだろう。
やっと日の目を見たと喜んでいる。その人の持っている正体を現している。もう隠す必要は無いのだ。被害を否定する。ワシには何も感じないし、被害者の言うことは分からない。役場は被害者など一人もいない、と言っている。テレビや新聞でも風力事業は全国で展開する。時代の流行よな。被害なんて、聞いたこともない。結局、全国で由良町に住む私一人が、風力発電の低周波音の被害を訴える。
誰もがアホにして大喜びする。被害者ですらそうなんだから、日本の社会はどうなっているんやと精神構造の分析を書いてきた。アメリカなどにある『服従の心理』や『看守と囚人』の心理実験だけではない、日本独特な原理がある。それは昔からどこにでもあったものだけど、とくに昭和になって戦後の高度経済成長から明らかになる。水俣やイタイイタイ病の公害を見れば、風力被害と同じ原点を見る。
今、福島原発の処理水を放流しているのはチッソ水俣の排水と同じ風景だ。被爆した被害者や地域の人はさぞや心穏やかではないだろう。少しでもまともな人はとうに逃げ出している。それが目的でもあったのか、再エネをうたい文句にして莫大な投資をして儲けている。いや失敗ばかりなんだが、すべて税金で金儲けのダシに使えるのだ。福島沖の600億円の洋上風力は有名でしょ。撤去に50億円要ったらしい。
水素製造工場とかね。もちろん風力発電も多々あって、被害者から何度も連絡があったものだよ。低周波音被害者の会の窪田泰さんが関わっていて、私も誘われて加わったつもりが酷い拒否に遭う。オマエを訴えてやる、と言うんだから話にならない。低周波音被害者は頭をやられるからね。ロボットにされて操られていたのかもしれない。これまで何度も繰り返してきた被害者たちの狂気を見る。
ヘンな人になるのだよ。這う這うの体で逃げた。窪田泰は人が好過ぎたのだ。私には厳しい言葉ばかり言っていたくせにな。原発地域はどこでも建設時から地域対策して管理されているから、普通じゃないんだよ。福井県の原発銀座を見れば、そこの人たちがいかに特殊か分かるだろう。原発がなければ町は発展せんのやて。地域ぐるみで特殊社会が構築されている。50年前にあった原発反対運動なんか、夢のようやないか。
今では正反対の原発礼賛となる。地球温暖化、脱炭素なんやて。50年も経てば、どんな機械でもオンボロになって故障してしまうのにね。原発ムラはカルトになっている。そこに風力発電だもの、何でもできるわな。伊方町なんか見たらトテモトテモ、環境運動家のパラダイスだよ。こんな所に住みたいか、となる。それが彼らには全然理解できないらしいのだ。秋田や山形の風力銀座でも同じでしょ。
人は、こんなに簡単に家畜化されて管理されるのだ。究極、ヴィクトールEフランクル『夜と霧』にあるように何も考えられなくなる。だから「考える会」じゃない。あれは洗脳、社会コントロールの作戦、罠だと分かるだろう。そんなことは初めから指摘されていた。私も知っていたし、それが分からない人なんて、たぶんお花畑なんだよ。被害地域になると、何が何だか分からなくなるけどな。タクトを振っている奴がいる。
カネ儲けのダシ、社会支配の罠だ。被害地を見ればやられっぱなしやないか。人々は尊厳を奪われて家畜になる。自ら進んで奴隷になるのだ。私は御免だね。一人で結構、キミ等とは違う。世界的には、どちらが、と答えはある。水俣や福島を見れば、何が正解で、何が間違っているかなんて簡単なことやないか。水俣宣言のアホらしさを見よ。「水俣病は終わっていない」。同じことを福島で繰り返す。
同じように由良町で引き起こされた風力被害は、東伊豆町に始まり、全国展開して喜ばれている。「ワシらは面白うてならんのや」と手を叩いて喜んでいる。世界ではCRAZY(狂気)と言う。
風力発電所の抗議活動参加者らは戦い続けることを誓う