騙しのトリック、無責任主義

前ページには福島原発の汚染水を放流することについて、具体的な反対理由を書いた。水俣と同じなんだよ。希釈して安全だというけれど、生物濃縮が進んでドンドンと濃くなっていく。それを食べたら被害に遭うわな。それよりも風評被害という言葉のトリックを見ないか。明らかな安全で~す、というアピールに、ホントかい? と逆に引いてしまう。既に一部の魚に高濃度の汚染が広がっているという。

放射能を測ったらアカンのや。【見ぬもの清し】という。水銀でもそうだけど、べつに味は変わらないし、見た目には何も分からない。被害者とか、被害を訴えるものを懲らしめて黙らせればよい。弾圧の嵐だよ。警察がそれをやるから恐怖政治を見る。まるで映画やな、と仕組まれた被害隠ぺい作戦のイカサマを見るのだ。ドイツのナチスが分かりやすいから、ついナチズム、ホロコーストを例にするけど、日本にだって、ヒドイ戦時体制があったことは知っての通りだ。

戦争なんか止めろ!という人は誰もいなかった。器用に逃げ回るだけで精いっぱいだった。ウクライナやパキスタンを見たら分かるでしょ。たくさんの人が逃げ出している。戦争と公害は違うけどな。でも当事者になってみると、痛ましい事件の本質を見るのだよ。被害者は生贄かい。twitterなどを見回すと、風力被害を言う人は誰もいない。原発排水の事もない。つまり本当の被害に関しては誰も近づかないし、言ってはならない不文律になっている。

その上で言葉のトリックがたくさん繰り返されている。レトリックの上手さよな。情報コントロールされている、と思っていいんじゃないか。お花畑の環境運動家たちのアホらしさよ。根拠もなく受け売りの言葉だけ、オウムかい。パロットparrotな記事という。真摯な人はいないのかと思うんだよ。中国の排出量が多いとかね。問題のすり替えに大喜びだ。単に意味が分かっていないだけなんだが、分かる人も含めて、日本人の無責任体質を確信する。

なぜ日本では誰も汚染水の放流を止めろ、と言わないんだろうね。水俣で見たんじゃなかったのか。国が認めないから、法律があるから被害はないのか。風力発電の被害を通して見ると、同じ構造になっている。そこにはな、被害地域に住む人々の責任がある。民主主義とは、人が自主的に獲得する権利やで。決して上から与えられるものじゃない。被害に遭ったら抗議しなくてはならないんだよ。

あるいは周囲の人がそれに気が付いて、「止めろ」と言わなければ社会正義は成り立たない。被害者に対する弾圧が日常になれば地獄の釜茹でを見ることになる。ナチスの大量虐殺、ジェノサイドは有名だ。水俣病だって世界用語になっている。何が悪いのか、日本人には分からないんだからね。ジョニーデップの映画『MINAMATA』は水俣では拒否された。映画の意味が分からないという日本人は多い。

ユージンスミスの写真は有名だけどな。日本人には人権意識がないのだった。もっと言うと、「stop wind turbines」(風力発電を止めろ)がないのは世界で日本だけだ。特殊な心理に固められている。水俣学だと言ってもいたが、逃げ出した人は多いでしょ。今、その辺で水俣学だという人はエセだよ。ペテンが面白いのだった。45年前に初めて水俣病を知った時から何も変わらない。「水俣宣言」って何だろう。

思考停止よりも、認識する根拠がないのだ。「言ってはならない」と繰り返す。チッソはそんなに偉いのかい。政治は機能しない。由良町で風力被害を訴えながら、九州人の摩訶不思議な精神性を見ていた。東北や北海道の風力地域でも同じことだったけどな。つまり日本には共通した原理主義があった。水銀にしろ放射能にしろ、被害のあることは分かっている。風評被害じゃない。被害者がいて苦しんでいる。狂いながら死んだ。

そのことが面白いのだ。誰か畑地区の谷口さんの訴えに、「止めろ、このままでは死んでしまう」、と、いやいやその時にはたくさんの被害者が苦しみながら死んでいたからね、風力被害を劇場のようにして楽しんでいたのだ。猿回しのサルにしてな。私に対する嫌悪の言葉はたくさん聞いた。よっぼと嬉しかったんだろう。それがその人たちの値打ちだったんだよ。ドイツに習え、ドイツでは上手く行っている、なぜ日本ではそれができないのか、それを考えよう、なんて言葉をあちこちで聞かされたよ。

アホか。ドイツの風力反対デモを見せても知らん顔だよ。日本の自称・風力反対? 環境運動の闇を散々見た。国家ファシズムだった。風力ファシズムともいう。再エネビジネスに群がる環境運動という災厄だよ。怖いもの見たさにまるで珍獣を見るように低周波音の被害、風車病の事を聞きに来たものだ。「あの人はウソをついている」それが結論だった。初めから敵味方の関係でしかなかったことを知る。

いや、初めから知っていたよ。溝に落ちた犬を叩く。日本人の本質を見る。由良町での出来事は分かりやすいからこのページで書き続けてきた。「哀れよのう」何度その言葉を聞いたことか。いや違う、こんなことで負けてはならない、と訴えて来た。まだまだ先は長いね。人々は風力被害に笑い喜んでいる。水俣でも福島でも、被害者に対する嫌悪、差別は有名だ。江戸時代の封建社会だね。下見て暮らせ。

由良守應の罪状にも差別したから追放すると書いてある。人々の喜びようよ。聖書にもこんな場面がある。騙されるんじゃない、人間とはそんな下劣な精神でしかないのだと古来から伝えられている。明治維新を颯爽と駆け抜けた守應だが、肖像画にも言い伝えにも、怖い顔して残されている。人間社会で生きていくのは大変なことだよ。既に風力被害は全国に知れ渡っている。それでも風力発電の計画、建設は続いている。

誰も反対しないんだね。土砂崩れが心配だと、今も懲りずに言っているからね。これが世論、世間相場に定着している。被害者は消えてなくなるだけか。哀れよのう。