TSMCに踊る日本人

先日テレビで菊陽町のドキュメンタリーをやっていた。聞いたことのないどこかの田舎町に、ドッ、と人々が押し寄せている。アパートの建設ラッシュで、部屋の奪い合いだというのだ。私もアパートをやっているからね、四苦八苦して維持しているのに、こんな田舎町もあるんだ、みたいな感覚よ。それで関心を持って見てしまっていた。原因は、台湾の工場が進出してくる。アッ、どこかで聞いたな、と思い出していた。それが延々、1時間ほど放送されていたのだ。

いいことばかりで、農地、土地を売って、3億円になる百姓がインタビューを受けている。素朴、単純な言葉遣いに、本当にそれでよいのかい、と同じ百姓として思う。和歌山にもそんな百姓はたくさんいて、泡銭を得て、毎日遊んで暮らす奴が話題になる。スッカラカンになって、安アパートで一人暮らしていた、とかな。母方の大叔母たちは、グループを作ってみかん採りの作業を請け負っていた。その金で温泉旅行に行く。

一緒に働いて汗をかいた仲間と話が弾んで楽しかったと言っていた。どちらが、というつもりはない。同じ百姓でも、選択や、価値観はずいぶんと違うからね。アメリカでは広大な牧場の地下にリチウムなどのレアメタルの鉱石が見つかったけど、牧場主は売却を断ったという。環境汚染、公害が理由だとか。そりゃぁ、牛や馬を飼って、走り回っている方が幸せだよ。私がせっせと甘夏や八朔採りしているのと同じ事だ。

百姓を舐めんなよ。そのアメリカでTSMCの工場がトラブルになっているニュースも見ている。抽象的な精神論の違いみたいな話だったかな。どうもよく分からない現地の反発に、米中戦争なんだぐらいの見方をしていた。この本にも、ボソボソとそんな記述がある。所詮は文化の違いか。驚いたのは菊陽町は水俣市の近くだ。熊本県とは、水俣病の時、もちろん今もそうだけど、被害の隠蔽にこれでもかと弾圧を繰り返した。

懲りないね。社会風土がある。異常な社会政策に、誰も反対しないのかと思うのだ。熊本の風力計画はどうなったんだろう。土砂崩れが~、と絶叫していたけど、まるで世界が違っていた。いや、由良町でも同じことか。「言ってはならないんだ」とは45年前に長岡技大にいた時に八代の人から聞いた言葉だ。被害はタブーとして言葉には出来ない。

日本独特な原理主義がある。もし、その言葉を口にしたなら、たちまちにして制裁が加えられる。嫌がらせ、弾圧、追放、コテンパンだよ。日吉フミコの本を読むと、水俣市の惨状が、水銀被害以上にあることが伝えられる。小便掛けられたり、石を投げつけられたりと、泣いて怒ったという。谷口愛子さんからもそんな話を聞いたよ。人々の迫害とは、どこでも同じなんやで。私も当然やられていますから。

人々は大喜びよ。風車被害じゃない。被害に抗議する人を貶めて人間破壊するのだ。生贄みたいなものよ。ユダヤ人狩りとか、魔女裁判とか。死んだら手を叩いて喜ぶんやで。どこでも同じ風景でしょ。菊陽町には東京などからも、全国から人が集まっている。アルバイトの時給が2000円以上とか、アパートの部屋代の高額なことよ。日本一に輝くんだとか。よかったやないか。

有毒ガス、危険排水、産廃処理、これからドッサリト被害を見るんやろうか。なかにはこの本にあるように、あらかじめ何が起こるのかを知っている人がいるだろうにな。反対運動が表立つことはない。もしそんなことしたら消されるだけ。これも日本名物だよ。イタリアのマフィアみたいやないか。すぐに殺すんやで。政治のアホらしさ。これもどうしようもない。誰も責任取らないし、カラッポなのはいつの時代も変わらない。

政治の不毛は、見ていて分かるだろうに。「水俣病は終わっていない」と原田正純は言った。私は風力被害に苦しんでいる。人々は大喜びして「風力の被害など聞いたこともない」と繰り返して笑っている。よほど嬉しいらしいのだ。被害者でもそうなるからね。私を憎しみの目で睨みつけるんやで。あの谷口さんでもな。被害地になると、いいように操られる。私は【民衆の敵】としてターゲットにされる。アホよら。

日本風土、原理主義とは、究極、理性でも科学でもなく、そこに住む人の共通の理念として培われたものであることが分かる。被害と弾圧、すっかり日本の風景になった。私一人かい。「ウソつきばかりだよ」と言って去った人がいた。エライ役を貰ったよ。「風車を止めろ」と言葉にして抗議できる人はおらんのかい。