風力発電の狂気に、人々は乱舞する。

甘夏採りで忙しい。今年はカイガラムシが湧いて、軒並み加工柑(ジュース用)になる。せっかく農薬、肥料をやっても大赤字だね。辛い収穫作業が続いている。久しぶりに国道42号線を走って畑地区を見回した。よくもまぁ、この人らは平気な顔して生活しているな、と感心する。私の住む門前地区からすると、格段の低周波音の圧力が襲い掛かる。昔、谷口さんが買い物から自宅に帰るとき、「またあの家に帰るのか」と恐ろしくなったという。

それほどの低周波地獄なのだ。由良町に帰ってこなければよかったのに、と何度も思う。どうせ周囲の人との争いでしかない。社会からの引き剥がしに、私の悪口もドツサリ聞かされたことだろう。人物破壊の恐ろしさよな。人には、こんなにしてその人を否定して喜ぶ本性があったんや。「何のために❓」とか、なぜ❓とか言う疑問はなかったのかと思いたい。身近な山々の上には風車群が勢いよく回っている。すごい音環境だ。

特殊な音の場(sound of field)が出来ている。音源が大きいとそうなるらしい。家庭で使っている電化製品などではない。そんなことは誰もが分かっているだろう。国道を走り抜けると、多くの人が視察に訪れた理由がよく分かる。それは秋田や山形の風力被害とはまた別な意味で、社会実験されているのだ。東大のアンケート調査、環境運動家たちの弾圧活動、地域の協力要員、様々な施策が繰り返される。私もたくさんの言葉を聞かされてきた。

心理コントロールでこれほど簡単に人は屈服してロボットになるのか。もれなく、誰もが同じ言葉を呟いている。オウムじゃないか。我家の周囲でも同じことだけどな。私に対する敵視が普段の風景になる。キチガイのように言う、とかさ。いや、今は「キチガイや」と遠慮はない。私はコソコソと逃げ出すだけになっている。人々は嬉しいのだった。被害のあることがだよ。それが彼らのアイデンティティとなる。

すっかり風力発電と馴染んで幸せいっぱいだ。恐ろしい光景に、ワッ、と身の毛がよだつ。もはや私と同じ人間じゃない。作られた人造・改造人間だ。ファシズム、全体主義だけでなく、そこに住む人は皆おかしな言動に変化してしまっていた。たぶん近隣の人は気が付いている。本気で恐怖の風景を見ているだろう。これまでは単なる差別地域ぐらいだったものが、禁断の地域社会の掟が具体的な形になる。誰も本当の事を言うことはもうない。

風力の被害など聞いたこともないという。昔聞いた差別言葉など昔話でしかない。そんな社会の実態をほくそ笑む人は多いだろう。差別意識があったからね。私もそんな人を見て嫌な感じだと思っていた。それが具体化されただけか。笑いもの。被害者も加害者も喜んでいる。だったら何が悪いんだい。そう言われている気がする。下記に黙殺の音のURLを添付した。八咫烏も同じ低周波音の被害に苦しんでいたから畑地区についてのたくさんな記事を書いていた。

私とはどうも距離があったようだ。猫廼足は2度由良町に来て低周波の測定を行っている。それぞれにアプローチが違う。よくケンカしたかな。低周波被害者たちは皆仲が悪い。意見を取り持つ調整役みたいな人はいないのかい。その間隙を環境運動家にやられてきた。破壊工作だよ。その上での被害地域の支配の確立だったと考える。なんにせよ、これだけ地域の住民が満足していては、私がいくら風力反対だ、といっても付け入るスキがない。

カチンコチンに固められていた。全国各地の風力地域でも同じでしょ。自尊心はないんかい、と私には不思議でならないんだよ。被害者にしろ、周囲のそれらを見ている民衆に対してもな。社会がいいように操作されている。意識操作、心理コントロール、受け売りの言葉で話し合う安心感よな。弾圧が面白い。社会全体が弾圧されて転落しているさまが分からないようだ。海外では、人々はチャンと風力反対、抗議デモを烈しくやっている。

人間の証明だ。日本では貶められた人間失格の烙印となる。それが面白いと日本人は喜ぶんだよ。倒錯。それが日本人の証明か。私は違うからね。人々のアホらしさが羨ましい。もはやどうにもならないのかい。

https://blog.goo.ne.jp/anti4infrasound/e/12ed668e7198639c84240210c4f7edc1