ターゲットにされた被害地を見よ。

前ページでは猫廼足と八咫烏といった低周波音の被害者のことを書いた。独特な文体でな、泉鏡花のようやないか。この二人が同一人物ではないか、と噂されていたのは知っているかい。だって同じ症状をシツコク繰り返し書き付けるんやで。アッ、それ私の事やね。他の被害者さんはどうしているんだろうか。誰かが優しい言葉をかけて助けてくれるのを待っているんだろうか。あるいはやり場のない怒り、憎しみを持て余してヒステリックな精神に狂い始めていたりな。

風力被害は激しい弾圧があるから役場の言うとおり黙り込んで笑っているか。そして被害に苦しむ奴を悪者にして地域対策の策謀に紛れていく。生き残る術か、いや、もしその苦しみが本当ならすでに精神が狂っている。いつ死ぬか分からぬ恐怖心を持ちながら世間体ばかりが気になっていることだろう。頭の上で回っている風車群は、遠くから見た時、なんと醜悪で得も言われぬ恐怖心を掻き立てる。「止めてくれ」心の中で叫び声がする。そう言って死んだ隣人がいた。

なぜ、その時笑ったんだろう。近所の人も笑っていた。「関係ない」と人々は言う。結界がある。しめ縄で張り巡らされた閉鎖空間に、被害者たちは閉じ込められる。柵で囲まれた異常な社会に、みんなとても幸せそうに笑っている。なんかおかしいな、と思いながら、時間だけが経過する。低周波音の影響で、思考をめぐらすことがしんどい。頭がうまく働かない。段々と劣化していくように感じるのだ。早く死にたい、と願う人もいる。特殊な社会になっていることは薄々気が付いている。

人間牧場なのだ。谷口愛子さんの事はもう言うまい。あんな特殊な場面はもうコリゴリだ。隣町の広川町、日高町、日高川町、印南町、それから下津町の大窪地区も有名やった。風力地区の人は、なんかヘン。これまでとは違う。物言いが、警戒心丸出しよ。言えないんや。言うたらアカンのや。日常の言葉が、会話が自主的に遠慮した紋切り型になる。一歩踏み込んで不満を話すことはもうない。村八分にされて攻撃されたらかなわん。人に指さされる恐怖よ。

生贄、八つ裂きにされるから。人々はそれが面白い。人の不幸を待っているんや。次は誰やろうか。若い人でも、なんか知らんが死んでしまう。子供にも悪影響があると聞く。しかし町営の保育所の真上には風車群が回っている。子供は元気やからな。その周りには風力で苦しいという人がたくさんいたやないか。そして死んでいった。誰も何も言わない。黙っているに越したことはない。誰かが、時代が解決する。そう信じるしかないと思わないとな。それまで生きられるかどうか。

社会コントロールの恐ろしさよ。海南市や有田市では、「本当は土砂崩れなんやで」と囁いている。山の上には人が住んでいて、大層な低周波被害に苦しんでいるらしい。由良町とは違って山が大きいからね。麓まで被害が届かない。県職員たちから酷い弾圧があった。ボロクソにやられて転居する羽目になった。叩き出されるのだ。笑いものよな。社会が、人々がそう言うから仕方ない。自然エネルギーなのだ。地産地消とか。反対は許されない。

風車を止めるとか、撤去するとか、誰も何も言わない。笑って喜ぶだけよ。本当に私だけなのか。猫廼足も八咫烏も風力被害者ではない。JR中央線の高架橋工事で、重機の低周波音にやられたのだ。あるいは隣接する工場から24時間発する低周波音の被害にやられたのだ。抗議は受け付けられない。工事現場に怒鳴り込んだら警察に連行されたという。怒りが収まらない、と言っていた。地域の笑いものとして定着する。実はその時、私も国立駅の近くに住んでいた。

窪田さんの近所だ。そんなことあったかな❓と今も記憶にない当時の状況に不思議感が渦巻いている。私は米軍厚木基地の滑走路の脇で1年間暮らしたからね。タッチアンドゴーの洗礼も受けた。鈍感な私。だから国立駅でのことも分からなかったんだろうかね。今、誰も低周波音の被害を訴える人はいない。「由良守生」と検索すると、今どき珍しい奇妙な被害記事がつづられている。SNS、twitterでも、低周波音の人はいない。もともとが架空の被害だったのだろうか。

情報は何もない。いやいや、各地にはペテンの被害者否定の記事が溢れている。それらの地域には被害者がいるだろうに血祭りにあげられている。生贄の儀式に、人々は沈黙しかない。猫廼足や八咫烏はいない。だって被害者たちには言葉がないのだ。もともとが動物みたいな人だったんだろう。私に対しても言葉も何も、意識すらない。由良町の被害者たちもそうだったな、と振り返る。人間が言葉を奪われる。初めから言われるように、薄っぺらい人になる。

ロボットのようになる。と伝えられていた。不要な粗大ゴミみたいなもの。法律的には「精神疾患のもの」と書かれている。アメリカやヨーロッパでは地域の人々が協力して「Stop wind turbines !」と言って抗議を繰り返す。日本人にはそれが伝わらない。理解できないのだ。「由良さん、ここは日本ですよ」と嘲笑う。私も真似して笑ってやる。倒錯。日本人だけ、なぜなのかと考える。新しい日本人論が始まっている。「関係ない」、「アホよら」。