風力発電は、低周波音の被害、風車病がある。

各地で風力発電反対の記事が多くなっている。10年前とは状況が大違いよな。でもよく見ると、そこには陰湿な罠が仕掛けてあって、初めからセットになった地域対策、心理操作、世論工作がいっぱいだ。これまでこのページで紹介してきた海外の風力反対記事と比較してみるとよく分かるでしょ。「protest windfarm」、「non aux éoliennes」、「kein windpark」、少しググってみるとドツサリ出てくるで。

自動翻訳があるから意味が分かるし、もしそこに知人がいたら聞いてみたらよい。日本がいかに閉ざされた情報空間にされているか、我々日本人は知る必要があるだろう。騙されているんやで。まず、その事を危機感をもって風力屋の悪意を見破ろうじゃないか。行政や政治は何の役にも立たない。太平洋戦争のとき、これでもかと見たでしょ。今もドキュメンタリーとしてテレビでやっている。爆弾抱えて若者が自爆攻撃する。

イスラム原理主義のジハードと何の違いもない。靖国のカラクリが分かる瞬間だ。心理操作、トリックなんやで。日本人はこんなに騙されやすいんや、と分かろうやないか。あまりにも「土砂崩れ」だの、地下水が、と言葉のすり替えになっているので、アホらしくなってきた。ウソも百回言えば本当になるというからね。由良町で聞けばわかるけど、「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。

全国の風力被害地で同じ現象でしょ。なんでまたこんな倒錯に人々は笑っているのか、正義派、善人はいないのか。家族や親しい人が風力被害に苦しんでいるでしょう。それは恥ずかしいことなんかい。笑いもの。精神疾患。更年期障害。耳の障害者。いろんな言葉で弾圧する。人の不幸が面白い。被害者が死んでいく。こんなことが許されてよいハズがない。

『ある風車被害者の独白』を読んでいて、結構たくさんの文を紡ぎ出していることに気が付いていた。編集者がいて、その人も低周波被害者だから念の入った構成になっている。一般に低周波被害者たちはそれぞれに仲が悪い。頭をやられるからね。イライラ感、と言うだろう。お互いにそれに耐えられないのだろうか。風力被害の場合、引きはがし、孤立化、人物破壊、といった弾圧のターゲットにされて消されていく。

ドンドン壊滅されていくから、個人では手出しができない。国の権力、大きな組織が立ちはだかる。環境運動家はその手先、コマでしかない。そんなモノが何重にも取り巻くからね。たまたま谷口さんには年齢の近い助っ人が、ワザワザ畑地区の自宅まで何度も来てくれたようだ。典型的やな、と見ていた。それを見ていたのは私だけじゃない。国道42号線沿いだから、畑地区の人だけでなく、私や多くの関係者が見て知っている。

アップされている文と共にな。それでも何も言わない。由良町役場では谷口さんの死を大笑いした。私は笑いの的よ。男女の関係があるんじゃないか、とも言っていた。無茶苦茶な罵声が覆っていた。今もそう変わらない。人々は被害が面白いのだ。なんせ町内、どこからでも山々に林立する風車群が見える。その麓で何があるかぐらいは誰でも知っている。ようこそ地獄へ。

隣町の風力計画では、やはり「私たちは土砂崩れや」と言っている。分かって言っているんやで。全国でも同じ事でしょ。低周波音の被害、風車病に苦しむ人がいる。地域を叩き出された被害者たちがいる。それでも人々は「本当は土砂崩れなんやで」と囁き合う。そして笑うのだ。いつしか風力被害は日本人論になっていた。戦争だろうが公害だろうが、福島の原発でもそれは同じことだ。汚染水の放流に誰も反対しない。

薄めればよいではないか、という。水俣の教訓なんかどこにもない。「水俣病は終わっていない」と原田正純は言った。日本人にはその意味が分からない。ジョニーデップの映画『MINAMATA』を見ても意味が通じない。民衆の敵、みたいなものか。「なぜ、この被害を認めないか」と汐見文隆は拳を振り上げていた。誰も助けないんだよ。それよりも被害が面白い。水銀でも放射能でもなく、聞こえない「音」だからね。

何でもやりたい放題さ。【低周波音の法律はないんや】と警察も人々も言う。それがどうした。日本に民主主義はないんか。すっかり汐見教の代弁者になっている。低周波被害者の会の窪田泰さんとも話している。日本人はダメだね、どうにもならない、という。そうだろうか。風力被害、こんなもので日本人のアホさが明らかになる。

カラクリが分かれば、騙しのテクニックも手品の種明かしだよ。巧妙な心理ゲームでしかなかったのだ。実に日本人の弱点を突かれた。私一人なんか。違うだろう。大塩平八郎じゃないが、打ち壊そうぜい。そしたら明日が見える。明治維新までまっしぐらだ。