猫廼足と、八咫烏と

この二人のことは、これまでも何度となく取り上げて説明してきた。二人とも重症の低周波被害者でな、それぞれにエピソードに事欠かない。もし彼らがいなかったら今の低周波音の被害は、まだまだ泥沼の中だった可能性がある。汐見文隆や小林芳正と言った権威もすごいけど、被害者が自分の言葉をもって世論を作り上げるまで頑張っていた。

信者がたくさんいてな、私もその一人だよ。あれから10年が経って、それぞれのリーダーは引退すると、まるで潮が引いていくように誰もいなくなっていた。代わって各地のエセ、ペテンの風力運動会が盛況だ。御用学者。水俣病やイタイイタイ病の時と同じやり方だ。それがまた特殊な人ではなくって、私の卒業した和歌山高専とか、長岡技大でも、平然と被害者の弾圧を言葉にするからね。

被害者に対する怒りや憎しみが、なんでこんな先生に湧いて出るのかと不思議に思ったさ。保身とか出世とかいうんじゃなく、無視、関係ない、指示された役割だけに専念する。高専も技大にも、最新鋭の低周波音測定器を購入して装備してあるとホームページに唱ってあったんやで。それをだよ、使ってはならないし、測定できないんだと豪語する。

先生方は嬉しそうに笑っていたよ。何がそんなに嬉しいんだろうかね。京大の小林教授チームがs57年の香芝高架橋低周波公害訴訟の通り、由良町でも低周波音被害の酷さを測定してくれた。有難い。この落差は何だろうかね。水俣のように、汐見・小林の名は歴史に刻み込まれた。地位や名誉、お金じゃないね。どちらを取るか、明らかだろうにな。

社会人として常識のない冷淡さを見る。役場も県も国も、嬉々として低周波音の被害者を否定する。この地獄に立ち向かう正義漢はいないのかい。と猫廼足と八咫烏の活躍が懐かしいのだ。信者たちは結局、言葉も信念も持てずにいた。私に対して「迷惑です」と拒否した人もいた。窪田泰さんもあちこちでそう言われていたからね。自称・被害者のアホらしさはどこでも同じだ。

もともとがヘンな人なのか、被害に遭ったからヒステリックになったのか、それは分からない。珍獣。被害者独特な顔つきになり、取り留めのない言葉のもつれを聞かされる。「私たちは風力発電には反対ではありません」という。これって各地の風力被害地で有名なセリフだよ。なんで被害に苦しむ人が同じ言葉を各地で言うようになるんだろうかね。

地域対策のマニュアルがあるんだろう。スパイ工作員、現地要員が張り付いている。どこにでも悪党がいるからね。権力の手先となって、自己実現するパターンは国を問わない。そうそう『風と共に去りぬ』の中にもそんな悪役がいましたな。元農場監督が役人になってスカーレットを訪ねてくるシーンがあった。こぶしを振り上げる立ち向かうスカーレットがまぶしい。

人間はこうでなくてはな。これが基本だよ。私はそう信じている。由良町では私一人だけどな。猫廼足のメールはたくさんいただいた。長電話と共に、低周波音の被害システムを理解するためには、私でも1年ほど掛かったと思う。騒音測定の訓練を受けた私でも、フーリエ級数の数学理論を理解していても、この有様なのだ。

正直言うとな、いまだに三分の一オクターブ分析、という意味が分からずにいる。1/3オクターブが、重みづけの分析であることまでは分かるんだが、これが私の能力の限界だ。もともと勉強のできない盆暗だったからね。汐見先生にも指摘されて笑われた。関係者は皆理解しているんだろうかね。各地のお花畑議論を見渡す限り、そこまでヒラメク人は誰もいないんじゃないの。

お花畑そのものが被害隠ぺいのセットだからね。日本独特な地域密着の支配体制だよ。最初からそう言われているのに、誰もその事実を言葉にできないんやで。これが各地の被害隠ぺい作戦に繋がっている。被害者でさえ言葉を持たない。何が起こったのか、猫廼足や八咫烏のように話ができない。だからこの二人が去った後には何も残らなかったのだ。

被害者すらもな。今や日本人はすっかり架空の物語に酔いしれる。自然エネルギー、クリーンエネルギー、メガソーラーとか、風車群の風景とか。せっかくの日本の原風景が金儲けのダシにされている。目的は地球温暖化防止とか脱炭素なんだとか。「明日では間に合わない」という。日本人は誰も疑わない。頭をやられているようだ。

とくに風力被害地では有害な低周波音の空気振動で覆われているからね。アホな人々が余計に狂うしかない。私をターゲットにしてアホにしまくりよ。苦しみ狂い死んだ被害者がたくさんあったでしょうに。それが面白いと豪語する。ウソつくなっ、と言っている。本当に私一人なんだろうかね。

どうも集団心理の暴走が、何か破局に向かっているとしか見えないんだよ。風力発電はタダの演出やで。デモンストレーションなんやで。