風力発電の被害を訴えてきて、人々の紋切り型の言葉の数々に気が付いている。受け売りの言葉。知らぬうちに摺り込まれた心模様に、これが地域対策、これが心理コントロールか、と洗脳の実態に驚いてきた。もともとは誰にでもある心の闇の部分に、憎しみとか怒りの感情を湧き立たせたんやね。ターゲットにされた被害者にも、弱い部分は誰にでもある。
畑地区の谷口愛子さんの悪口は、皆さんも聞かされてきたんでしょ。私の悪口なんか、もう大変なものだよ。それをワザワザ伝えに来る人もいて、笑いと優越感に、その知人たちも遠のいていった。迫害された被害者には共通の恨み節があってな、相手が社会という雲を掴むような悪意だから、何の抵抗もできずに顔を強張らせるんやで。私に対する敵意だけは、涙を流して叫んでいたな。
「出て行けっ」と何度も聞かされたよ。アレアレ、可哀そうにな。すっかり狂っている。ツボを押さえた人間破壊には、その相手にも私にも、対応のできない断絶が決められていた。例外は、やはり谷口さんかな。h23年11月末に風力被害の電話が来てから、h28年の最後まで、途中でいろんな紆余曲折を見たけど、苦しい被害を伝えてきた。電話を切る。また電話がかかってくる。
その繰り返しをした。私もできるだけのことはしたつもり。私の悪口は、ドツサリ聞かされていただろう。裏切り行為も見せられた。「誰もアンタを信用しない」とかね。アホらしくなって、「早く死ねばよいのに」という話も多々聞いていた。共通の知人たちの悪いことよな。社会が、田舎の人間関係が、すっかり終わっていたのだ。被害者たちの、生死を分けたものが何であるのか、たぶん理由はあるだろう。
水俣や福島でも、被害者になった原因・理由があるでしょ。被害を否定する理由もな。風力被害だけでなく、一般の重機やエネファームなどの低周波被害者でも、ヘンな人と感じるでしょ。もともとがそんな人なのか、被害に遭ったからヒステリックな人になったのか、周囲の人は眉を顰めるばかりだ。重症の被害者はもう元には戻らない。どこへ行っても卓越した低周波音に遭うと敏感に反応する。
目まい、耳鳴り、頭痛やしんどさに襲われる。風力被害では、これに人々の弾圧、虐待があるからね。だから被害者たちは泣き叫んで私に掴みかかって来たんやで。そして私を恨んで死んでいった。アホな奴らよ。生き残った被害者たちも私を大層憎んでいる。もう話すことは何もない。言葉にしないから思考も会話もない。タブーなのだ。被害など何もない。
風力被害など聞いたこともない。由良守生というヘンな人が、キチガイのように変なこと言っているだけ。これが由良町の実態だ。人々は大喜びしている。他に話題はないんかい。写真を見ての通り、由良町のどこからも山々に林立する風力発電が見える。私のように有害な低周波音を感じる人は多い。健康不安。耳鳴りや目まい、体がしんどくてならない。
これって、2019.3/2日~2019.3/26日のページにアップしたフィンランド記事と同じことやで。日本だけ被害がない、なんてことはない。私一人か❓ 違うだろう、多くの人が、実は何でも知っていると見る。洗脳を隠れ蓑にして、様子伺いで時間が経過する。畑地区の人は見世物やね。珍獣、何を言うのか耳をそばだてる。何を言っても、聞いても、田舎の社会では伝わってくる。
悪い人は決まっているからね。アッ、私の事か。自由に生きるとは、これほどに勇気と開放感のある事なんか。心理操作されて、得意になって風力被害者をアホにして喜んでいる人たちを見る。まずまずの成功だろう。【哀れな被害者たち】、とは決して思わない。水俣や福島でもそうでしょ。あんなになりたくないわな。悲惨な被害者の症状と結末は有名でな、風力被害も同じことになっているのは、これまで書いてきたとおりだ。
その弾圧が面白いと人々は笑って言う。もう遠慮はない。被害を訴えるものは精神疾患だ。自分の症状を言っている、タダのカタワなんだよ。差別が嬉しい。アホよらと笑う。この幸せ感やね。貧しさよな。決してそれ以上のものではない。もともとがそういう地域、そんな社会でしかなかった。私は、誰か一人でも風力反対、抗議に立ち上がる人がいるだろうと思っていた。甘かったよ。
これは私の間違いであった。人の不幸が面白い。これだけの事だった。東北や北海道の風力被害を見ていると、基本は由良町と同じでも、それだけ人々が貧しいことが伝わってくる。巨大な狂気に、ワッ、近寄らんとこ、と恐怖を感じる。地域破壊。風力促進地区に人道なんてない。由良町で見たとおりだ。全国で同じ風力被害を見ながら、なんで日本だけ、こんな災厄に苦しむのか、日本人ってアホでしかないのかい。【音環境】の恐怖を理解しないか。