風力発電の虚構と現実を見分けよ。

前ページでは風力発電の被害で苦しむ被害者を生贄にして、地域社会が結束するトリック、罠に付いて考えてみた。地域対策だから常にセットになっていることは全国の有名被害地を見たら分かるだろう。その出だしがh18年の東伊豆町だと書いてきた。今はもう、あの時の風力被害の調査報告書なんか誰も言葉にしないからね。時代は進んだのか、心理対策が成果を上げたのかは伊豆半島の人に聞いてみたらよい。

誰も「知らない」と答えている。彼らは、本当に知らないし関心もないんだよ。同じ話を水俣や福島で聞く。いや、由良町でも同じで、「風力の被害など聞いたこともない」と誰もが繰り返す。お見事、と言うしかないわな。SNS、twitterでも、風力被害を投稿するのは私一人だ。なんとすべての風力関係はお花畑になっている。情報操作、思想管理なんやで。思想警察と書いてきた。

すっかり全体主義、専制政治にハマっていることが見て取れる。キシダは「さらなる再エネの推進」と謳っている。国を挙げて風力推進だ。反対しているのは私だけかいな。各地の、いかにも心配するフリをして、自称・風力反対らしい演出を見よ。あれからもう10年も経っているから彼らのペテンは見ての通りだ。今も土砂崩れとか、自然環境が、とか言っている。低周波音の被害に苦しみ死んでいく人のことはどこにもない。

いや、それらの被害者を取りまとめて消し去ってきた。ドイツのアウシュビッツ強制収容所みたいやで。低周波被害者を特定して弾圧する仕組みは、まさに被害者の裏切りにある。ユダヤ人のホロコーストはそのようにして始まった。とハンナアーレントは書いている。私も由良町で、散々その気持ち悪さを味わった。地獄への儀式なんだと分かる。人々はそれを見て知っているんだよ。

2019.2/7日のページにアップしている録音を聞いたら分かるだろう。釜茹でにされた被害者たちの姿がある。こんなにして虐殺されたんやで。すべては虚構の物語よ。いったい何のために❓と思わないか。東伊豆町でも同じことがあったんでしょ。そのことを伝える人は誰もいない。情報の統制、管理、支配の現実よ。お花畑だけがそこにはある。私は、あんな所に何で? と思って来た。

風力発電の町。そんな特有な、異様な町が全国に展開する。その始まり、弾圧風景、完了形、どこも同じパターンでしょ。被害者だけがワリヲ食う。儀式の生贄だと書いてきた。地球温暖化防止という具体策なんか。問題の大きさを間違えてはならないという。私には一昔前の人柱にしか見えんけどな。川の堤防を作るときとか、城を築く時に、無垢な少女に柱を抱かせて埋めて殺したんでしょ。

h28年に京大の小林先生や奥西先生が由良町に視察に来た時、「由良町はまだ徳川時代で、封建社会のままだな」と言って笑ったことが忘れられない。外部から見ると、真実が丸見えなのだ。由良町内で被害に悶え苦しんでいると、そのことが分からなくされている。東北の秋田や山形でも、山にも平野にも海にも風車が林立していて、その中で人々は笑顔で暮らしている。

外部の人には異常事態やな、と思うのに彼らにはそのことが分からない。頭をやられているし、もともとがその傾向、自ら選んだ楽園なのだ。嘘八百の彼らに、由良町と同じ精神を見る。ワシらは面白うてならんのやと。日本だけ、「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)の言葉がない。世界中で抗議運動が盛大に行われているのに、日本人にはそれを見ても何のことだか分からない。

「ここは日本ですよ、由良さん、なんでそんなこと言うんですか?」と不思議がられるのだ。ハッキリ言おう。由良町では、実に私一人が浮いている。人々は被害があろうがなかろうが、そんなことどうでもよい。上から言われたことだけが真実なのだ。三井造船由良工場のシンナーや有機溶剤の香りに、人々はウットリとして微笑んでいる。頭痛や目まい、耐えがたい苦痛があると言いながらその被害が嬉しいのだ。

私はまた彼らは怒っているのか、と勘違いしていたよ。違う。彼らは喜んでいるのだった。おかげで私たちは生活がして行けるんだと言っている。感情、感覚はともかくとして、そこに住み続ける意味に執着している。実は私もそうだけどな。これだけの風力被害を受けて苦しみながら、たまに新幹線に乗った時のぐっすり眠りこける心地よさよ。地獄の生活がある。たくさんの被害者が苦しみ狂い死んでいった。

そのことを忘れたことはない。たぶん、他の人たちも同じような記憶を暖めて喜んでいる。まだ生きている、とかね。私に対する憎しみ、嫌悪はカチンコチンに固まっている。人種が違うんだよ。一緒にしないでくれ。風もないのに風力発電が回っている。風車が止まると心配して業者に電話する百姓がいる。ワシらには風力発電が大事なんやという。被害など辛抱すればよい。社会貢献や、と豪語する。

何度かこんな人にあっている。日本人って、こんな程度だったんや。倫理も道徳もない。幼稚園児と変わらない。子供でも被害に遭ったら泣き出すだろう。学者たちの会合でも、政治談議でも同じことだった。レジスタンス、反抗がない。それでもな、世の中を動かすには行動するしかない。今のところ誰もいないけど、私の活動が地の塩になればよい。千年前に由良に都落ちしてきた時も、きっとこんな感じだったんやで。