先日、大坂でやっている安藤広重の浮世絵展を見に行った。私も絵が大好きでね、つい見入ってしまって監視員に怒られた。何か私に目立つモノがあったんだろうか。写真を撮ろうとしたらすかさず、【止めてください】と手でふさがれた。他の観客はみんな携帯で撮っているやないか。なんやこの野郎、と思ったさ。帰宅して、妹にその腹立たしさを告げると、「ちゃんと服装をして行ったか」と笑われたよ。
きれいなクリーム色の作業服だったけどな、普段着のシャツの方が良かったのかもしれん。なんせ毎日、山の中で一人暮らしている。猪やシカ相手に、同じ獣の臭いがしたかもしれん。都会は疲れるのう。ふと新聞を見ると、留守模様とあった。東海道53次にもそれはあって、訳知り顔に見ている観客の感性が伝わってくる。大阪の感覚だからね、江戸っ子じゃない。今の東京でも気にする人は少ないだろうか。
私の親類、従兄弟たちは東京生まれでキザナ言葉を使うけれど、叔父たちは和歌山の我家の生まれだ。粋な江戸っ子じゃないわな。浮世絵は、特殊な江戸文化だと思い知る。海外で、アメリカとかロンドンで、日本の浮世絵が評価されている。それで今の日本人も、へ~え、そんなにスゴイのかと見直してみる。デフォルメ、強調だという。なんか違うんだよな。53次の留守模様には、女郎屋の絵図があって、それも大阪で見た。
猫を見ても誰も分からない。「細かく描かれているわ」と感心する声を聞いていた。実際の風景ではない、意味を伝えるテレパシー、洗練された江戸っ子だけが楽しんだんだろうか。京都へ行くと、同じような「イケズ」がある。これはアカンわ。添付の評論記事を見て、初ガツオの宣伝か、と改めて気が付いた。私も最近物忘れがひどいから。昔読んだ古い本を見ても内容が思いつかない。ドンドン忘れて行ってしまっている。
風力発電の被害では、使われている写真を見たら、どちら側の人間であるのか分かるわな。これは日本も海外も共通の感性だ。いくら上手いこと言って騙したつもりでも、映像にして、スクリーンに映して説明する御用学者の、環境運動家の目的は明白だ。自然エネルギー、GX、グリーンエネルギーという。環境テロ、とはよく言った。被害者への弾圧が目的化されていた。
彼らの悪意をモロに受けてきたから、彼らの自慢する「風力発電の写真」を見ただけで、吐き気がするんだよ。浮世絵の感性が、こんな所で分別を明らかにする。昔のファシズム、ナチス運動と変わらない。ゴロツキ、ならず者、それが風力によって炙り出されていた。もともとの悪党、人々は大喜びさ。それがディープステートds、陰謀だったとしても、海外の風力反対デモと比べれば、何が悪いのか、今や隠しようもなく各地で露出している。
それを誰も抵抗しないし出来ないんだから、ユダヤ人の虐殺顔負けよ。ワッハッハッ、と笑って虐待されて喜んでいる。被害者の方も、「私たちは風力発電に反対ではありません」とオウムのように繰り返す。この精神破壊が面白い。【社会が破壊されるんやで】と初めから言われていた。何のために❓ 支配をしやすいように地均ししたんだよ。産廃でも原発でも、移民でも、何でもやれる素晴らしい国になる。
亡国論に、人々は拍手喝采だ。昔あった原発反対、なんか今はすっかり変貌しているでしょ。CO₂削減だよ。再エネと原発、単純な構図に環境運動がまとめられている。いやー、土砂崩れが心配です、というヘンテコな心理操作が飽きもせずに繰り返される。すっかりカルトになった地域対策に、人間としての分別はないのか、と腹が立つ。自己家畜化の典型だね。イヌやネコじゃあるまいに。
私とは話が通じないことに、孤独感を見ている。もう私が戻ることはないけどね。日本では、こうして簡単に、人々の思考は奪われてしまっていた。言われるままに、何も考えない、「考える会」のカラクリが分からない。「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか、それを知ることが先決でしょ」と言われていた。結局、全国で誰も理解できなかったし、いいように支配されて喜んでいた。
昔、原発音頭を踊って祝ったように、全く同じイベントにして風力祭りして賑わっている。【風力日本一】そんなスローガンに日本人は皆手を叩いて踊っている。本当に喜んでいるのだった。アホか。
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