前ページでは、日吉フミコさんは当初、水俣市に住んでいながら水俣病の事を知らなかったと書いた。これは有名な話だから、なんで❓ ウソやろ、と思われるわな。実際に現地では、カネ欲しさに言うてる、とされている。今も、チッソ、チッソ、というからね。部外者には何のことやら分からない。差別地域が絡んでいるからなおさらだ。
もし調査したら、被害範囲はもっと広がって、たくさんの人が今も症状を持ちながら黙り込んでいる、と言われる。感覚障害、味覚がないとか、死因とか、おそるべき破壊があると思うわな。しかしその地域では、自ら問おうとはしなかった。地域対策の罠、環境運動というイカサマは、じつにこの時始まっていた。プロフェッショナルな市民運動会を見る。
我家にジャーナリストたちが来た時、風力被害と水俣病は本当によく似ていると話した。私は水俣と関わったことはないので、関係者の話としてしか知らない。彼らの独特な思わせぶりに、立ち入り禁止の評価・判断がある。気安く言葉にしてもらいたくない、とね。体の芯から、私を拒否していた。スパイ工作員は東京の人とかよそ者なのにね。
権力の魔法よな。きっと皆、分かっていてやっている。そのやり口が風力被害だというのだ。それで社会が回っている。オマエはいったい何を言うてるんや、ということか。それでもな、世界中で同じ被害にあいながら、なんで日本だけ「アホよら」と言って被害者を弾圧するのか。虐め殺して喜んでいるのか。全国共通の環境運動家が活躍するのか、御用学者が飛び回るのか。
「土砂崩れが心配なんです」とくるからね。こんな簡単にトリックが、全国の日本人を洗脳してしまう。川の水が濁る、だって。魔法の言葉よな。こんな簡単な呪いの言葉に、地域の人たち、都会人も含めて「風力反対」を表明と書いている。中身がこんなに違う。どんな意味があるんだろうか。その社会政策が問われているんやで。
風力発電の一環として、最初からセットになっていた「考える会」のヤラセを見たか。みんな知っていたと思うで。それなのに蓋を開けてみれば、「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。あるいは自称・被害者が「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っている。よく言うで。とばっちりを受けた本当の被害者は驚きに言葉をなくしたやろ。裏切りか。
いやいや初めから仕組まれた罠なんやで。それを見ているからこそ、こんな汚い弾圧に私が抗議の活動を続けている。由良町ではただ一人、村八分の清々しさよ。家畜化した住民とは違う。インプットされた情報と仲間意識、支配感覚の恐ろしさを見てきた。これが政府というものか。水俣病裁判なんて、すごいからね。風力裁判も、そうやった。幕末の安政の大獄やで。
蛮社の獄とか。日本に有害な人は排除する。殺してしまう。それに反発して余計に歴史が展開する。世界情勢との天秤があるから。我家では由良守應が牢屋暮らしをしていた、元々が南朝方の残党だから、因果応報を見る。今のところペテンのイカサマばかりだ。日本人にはいくら低周波と言っても通じない。被害にあって苦しんでも、役場を信じる、という。
その繰り返しを体験した。アホな被害者たちよ。全国、どこでも同じ有様でしょ。社会主義、全体主義の飼い犬でしかなかったんやで。この比較は何もアメリカやヨーロッパだけでなく、アフリカとか南米の土人ですら、ハワイの原住民でさえ、風力被害を拒否している。宗教や地域性はあまり関係しないことが分かる。人種もな。ゴラン高原の風力反対の暴動は戦争みたいやで。
さて、ここに至って初めて日本人の風力被害は特殊な地獄になっていることが理解出来てきた。【人の不幸が面白い】、【アホよら】と言って笑いものにする。あるいは、せせら笑い、差別して喜んでいる。私は旧家のボンだからね、人々は大喜びさ。完璧な破壊を見た。人々は何を喜んでいるんだろう。キリストやイスラム、ヒンズーでもない。原住民の土俗宗教でもない。
日本独特な価値観が露わになる。リベラルな価値観よ。アメリカとは違うでしょ。ここまで落ちているんやで。日本では誰も風力被害の意味が分からない。考えることが出来ないのだ。由良町で聞いてみな。東伊豆町の風力被害者はどうなった。「被害はありません」そう決まっているだろ。それで終わりなんだよ。私一人が、それがどうした、と声を張り上げている。
よかったら君も、何が正しくて、何が間違っているのか、正邪の判断をしてみないか。風力はすべて嘘の作り話だから、突っ込みどころがいっぱいだ。役場や環境運動家、風力業社のアホさが面白いで。彼らの犯罪に「NO」、止めろ、と言ってやれ。日本でも風力反対をやろうぜい。
https://yuramorio.com/2018/01/page/5









