風力の被害者は、虐げられて終わりか。

風力発電には有害な低周波音があって、周囲の人々に被害を及ぼすことが分かっている。だからこそ環境省では初めからあんな風にして被害を否定する調査報告書をせっせと公開してきた。確信犯、自己崩壊しているのに、恥ずかしい、なんて感覚はない。これまでのペテンの報告書で、どれだけのアホさを見せてきたことか。それでも、その醜悪を指摘する人が日本にはいなかった。

被害現場でも、あらかじめ地域対策が取られていて、哀れな被害者はコテンパンに消されていた。普通に考えたら、日本だけ、なんで被害にあって苦しむ人を虐待して喜んでいるのかと、抗議の声が上がるはずなんだがね。いや、水俣や福島の弾圧風景がある。その実績、日本人の精神性、価値観を踏まえての風力被害の否定なのだった。それでも幕末に大塩平八郎の乱があるように、日本人には不服従の気概があったと思っている。

昭和40~50年代からの高度経済成長で、光化学スモッグを見ただろう。どぶ川。真っ黒な川が、異様な臭いを放っていた。たとえそれがきれいに見えても、富山県のイタイイタイ病とか、新潟水俣病のように、被害症状を見なければ、何が悪かったのかと、地域の人には分からない。今も被害に苦しむ人が生きているんやで。それに伴う差別心もな。その社会心理を、人々は心理操作されながら見続けてきたはずやで。

それなのにそれらの地域では堂々と風力をやっているからね。彼らの貧しさ、哀れなことは話してみると、カネの亡者でしかない。昔からこの地にある生贄の文化よ。穴掘って埋めるらしいで。それが政治になっていた。私のように風力発電の被害を言葉にすると、その場でシャットアウトする。これが長岡技大のエリートさんかい、と風力の手先となった連中を見てきた。彼らは被害を知らないんじゃない。

海外の風力反対を拒絶する。太平洋戦争みたいに、全世界を敵に回しても闘うつもりでいる。「風力発電の研究をしています」と言って自慢するからね。アホか。としか思えんわな。前ページの添付資料にあるように、このような人体実験の調査を全国的に行っている。被害者の救済ではなく、黙らせるための心理トリックだ。その一環として、大学の学者さんたちが研究費を支給されて、ふんぞり返っている。

学者という人種も地に堕ちた。私が卒業した和歌山工専もボロボロやで。目の前の山々に風力発電が林立して被害者が泣いているのにな。面白いんだよ。どうせ他所者だしな。地元の教員も何も言わないけどな。頬かむりする様子は、犯罪者心理と変わらない。良心はないんかい。よくも我慢してられるなと思う。真実、国の政策に逆らったらアカン。どちらに天秤を取るか、よな。

御坊市にあった、日の岬の風力発電は、あれだけの絶賛、賛美されたサイトを抱えながら再建されることはない。広川風力のように、公園整備されて、カネをかけた割にはどちらも廃墟になっている。誰も近づかない。悪意の結果、危険やないか。みんな本当は分かっているんやで。知っているのに知らんふり。それが被害地の現実か。当初は弾圧の罵声が繰り返されたけどな。被害者に対してだよ。

そんなバカバカしい人災も、過去の出来事になっている。もし同じことがあっても、人々に抵抗感はない。何でもいいんだよ。関係ない、って。私は風力発電の被害を殺人事件だと思っている。このまま済ませて忘れられようか。人々の胸にはドス黒い悪意がある。風力の被害者は、人々に殺されたのだ。「知らん」と言って済ませられん。投入された環境運動家と共に、何が起こっているのか、あらかじめ知っていた。

死んでいく被害者を指折り数えた。お楽しみに笑っただろ。それが被害地に生きる共通の話題だった。私だけ除け者でな、ずいぶんと難儀した。もっと苦しんでいる人がいることは知っている。れがその人の人生だ。差別の対象。笑いものの姿だ。ハッキリしているじゃないか。人間、保身のためなら町の誰が、どういう理由で死のうが知らんふりする。ご自分も一括りにして家畜化されているのに、それが分からない。

面白い社会実験だろう。どこまでも落ちていくんやで。原爆でも、爆撃弾でも、何でもOK.よ。ウクライナや中東でやっている戦争と変わらないでしょ。実に、風力戦争になっていることに気が付かないか。日本人は、すっかり操られている。それを喜んでいるから始末が悪い。いや都合がいいんか。

2020 https://yuramorio.com/2020/01/page/8/ 年1月 – ページ 8 – 由良守生オフィシャルホームページ (yuramorio.com)