二つある。音圧・空気振動、と、人々の変化・家畜化。これが風力地域の特色だ。h24年に環境運動家やジャーナリストたちが我家に来た時に、まず最初に私に話してくれたことだった。「すっかり出来上がってしまってるな」、「ンッ、何やろ、この空気は?」不気味な雰囲気を嗅ぎつけていた。彼らは他所の風力地も視察していたからね。由良町の被害状況を見て回って、正直に私に伝えてくれたことがある。
それが住民たちの普通ではない独特な雰囲気だった。私に対する敵意とか憎しみだけじゃなかった。誰にでも醸し出す、臭いを振りまいていたのだ。それが有害な低周波音に由来するものか、地域対策で心理コントロールされた結果なのかは知らない。低周波被害の及ばない所に住んでいても、こと、風力発電になるとすっかり狂ってしまう人がいるからね。カルトかい、ファシズムかい、と驚くしかないんだよ。
そんな奴に会ったことがあるだろう。役人とか環境運動家とか、自然保護団体とか。新聞記者もヘンなのが多かった。毎日新聞の記者が最初に取材にみえて、私も分からない事ばかりなので、何をどう言ってよいのか分からない中で、そのまま途切れてしまった。朝日や産経の記者の悪さよ。私を敵、狂人としか見てなかった。失礼な人だったよ。地元新聞も悪かったけどな。いまだに私の悪口書いて喜んでいる。
哀れな現実を見る。その記事を見て、さらに喜んでいる由良町の人がいるからね。被害地になると、誰も助けないし、悪党や悪意だけが賑わっている。本当に誰も立ち向かう人がいないのだ。これが面白い、と言ったら怒られるけど、結局、無関心・あざ笑いがジャーナリストたちを遠ざけることにもなっていた。誰も関心を寄せない。アホにして喜ぶだけ。海外の風力反対と、なんと違うことかと思う。
ペテンのエセ反対はどこにでもあるんだよ。でもニセモノはしょせん嘘だからね。「土砂崩れが心配です」というセリフも、心理コントロールの罠で、初めから同じ呪いの言葉を振りかけている。もちろん関係者ならその意味は十分に知った上でのことだ。土砂崩れなんかどこにもないんだよ。風車に起因するものはな。【心配です】という精神的な強迫だ。誰に向けたものなのか、分かるでしょ。
「被害を訴えるものは精神疾患のもの」という環境省の言葉と同じ効果よ。洗脳、心理操作、集団催眠術やね。社会操作のネタよ。私は風力発電の被害を訴えているけど、太陽パネルの反対も賑やかになっている。阿蘇の草原や、釧路の湿原に、大規模開発したら目立つわな。しかしその割には日本の自然保護団体は賛成と決まっている。環境運動家はすべてその傘下にあって、環境省がそのてっぺんにある。
ヒエラルキー階層社会や。アセスメントが嘘っぱちなのが分かる。「もっと、チャンとアセスをやってください」と環境運動家が言うたびに、こりゃダメだと落胆する。この意味が分かるかな。日本では、こんなアセスメントでさえ、理解する人は少ないだろう。開発業者が実施するんだから茶番だわな。まして参照値だ、感覚閾値だ、と言ってみても、話にならんで。やりたい放題になっているのは見ての通りだ。
水俣病でも福島原発事故でもそうだけどな。被害者はコテンパンにやられてしまう。被害者を、その周囲の住民が襲うのだ。憎しみあい、恨みを募らせる。「ワシら何ともないで」とな。「風力はワシらのもんや! オマエら関係ない!!」と叫ばれる。チッソ、チッソという水俣と同じセリフやね。宗教みたいに、カチンコチンに信じ込んでいる。「風力の被害など聞いたこともない」と全国で言っている。
ここまで狂うか。彼らの異常な言動に、なぜ新聞やテレビは沈黙するんだろう。いや、風力コマーシャルはドツサリ流しているけどな。風力って、すべて税金でしょ。ザル、スッと抜けよ。異常な再エネになっているのに。歯止めはどこにもない。風力発電の低周波音は、回転している時と、止まっている時では40dbも差がある。対数表示だから10000倍のエネルギー変化だ。風車から1㎞ほど離れると、倍音、高調波のあることが分かる。
1.2㎞離れた我家でも、30dbの差異で烈しく振動している。1000倍のエネルギー変化を繰り返す。こんな物理現象は世界共通の常識だ。日本だけ被害はない、なんてことはない。しかしこの事実が日本人には伝わらない。だって、人の不幸が面白いから。国の政策だからね、お上に逆らうか、と反発がある。被害者が憎いからだよ。非人め。キャー、すごい差別やで。でもな、これが今の日本人のレベルなんやで。
ボロクソに弾圧されて死んでいった被害者を見ただろ。因果関係はないってか。そりゃそうだ。家畜化したキミに、生贄の悲しさは分からない。水俣や福島で見たように、いずれ、固定化した評価が与えられる。人とは思わない。それが被害地の風景だ。