これを見ても風力発電の被害が分からんか。

英語やフランス語、ドイツ語で検索したら分かるけど、世界中で風力発電は拒否され、抗議デモが行われている。日本では一切、伝えられないね。情報管理だよ。必要な情報は伝えない。とくに真実の被害は隠されてしって、存在すらも消されている。TwitterやSNSではさ、私一人なんやで。

あとはお花畑とスパイ工作員、破壊担当の汚い記事が襲ってくる。最近はレーダーの邪魔をして、軍事、安全保障に心配だ、なんて言い訳をたくさん見る。これも「土砂崩れが心配です」と同じトリックよ。風力被害を、これでもかとすり替えてしまう。あたかも心配そうに真剣に、専門用語を使って論じる点が出来過ぎやな、と引いてしまう。

現実に被害者がいて苦しんでいるのに、そんなことはお構いなしさ。それですぐに分かるんだよ。ニセモノだとな。添付した資料はごく一部だ。各国、各地で、それこそたくさんの被害情報がアップされている。いや、時間差攻撃で、ときには風力コマーシャルで覆われていることがあるから、どこへ行っても被害隠ぺいの企みがあることが分かる。

なんせ事業者側はカネと政治があるからね。被害者は少数で田舎の貧乏タレよ。由良町などの田舎町を見れば分かるでしょ。それをh18年の東伊豆町では、わりと都会人のエリートさんたちが住んでいた。それで公害反対とばかりにパンフレットを配って、風力被害の実態を全国に発信した。日本では、これが最初で最後だった。

私はその真似をしただけ。最後の結論までな。東伊豆町の被害隠ぺい作戦は有名だ。今では当時の被害者は一人もいなくて、ウソつきばかり、つまりは手のひら返しのオウムになっている。こんなことまで、由良町の被害者たちは真似したからね。「私たちは先進地の東伊豆町を目指すのだ」なんてバカな事を言っていた。

低周波音の被害はなくならないのに。弾圧されてコテンパンにやられているのにね。周囲の人は、その様子を見るのが面白かったのだ。由良町で、私は散々そんな光景を見た。風力被害者が死んでいく。人々は笑い「アホよら」と喜んでいる。「ワシらは面白ろうてならんのや」というのだった。とても辛い体験を繰り返し見た。

村八分、世間の嫌われ者として、人物破壊のターゲットにされていた。我家は旧家で、これまでの人間関係があると思っていたけど、そんなもの逆に人の嫌悪、憎悪に変換されていたのだ。見事な心理操作だったよ。人は、こんなにも頼りないものだったのだ。ロボット、オウム、人間としての意見や誇り、矜持はないんかい。

全国で同じことだけどな。由良町の周囲の町でやっている風力被害のことは何度も紹介した。最初から見たから、日本人のどうしようもない欠点、弱点が見えた。私はどこでも拒否された。もともとが小心で内気なタイプだから、無理はしない。低周波音被害者の会の窪田さんも同じ目に遭って、あちこちでケンカになっていた。

ボロクソのやられようよ。私はそれを見ているので、手が付けられないことは勉強させてもらったのだ。窪田さんには汐見先生というカリスマがいたからね。羨ましい、というのか、大変だったろうと思ったよ。添付資料を見て分かるように、世界のどこでも地域の人々が協力して風力反対だと抗議している。ところが日本ではどうだ、という情けない状態を書いてきた。

低周波音の被害は、それは悲惨なものですよ。日本では、さらに人々の弾圧が襲う。周囲の人たちが、風力側に就く、行政と一体となって「オマエは間違っている」と嘲笑う。そして死んだら手を叩いて踊ってみせる。普通なら考えられない社会崩壊やで。なぜな? と思う人はいるだろう。しかし今までそんな人は一人もいなかったのだ。

集団ヒステリー、太平洋戦争の1億玉砕みたいに、みんなで死ぬんだ、と思い込むんだろうか。特攻作戦と言って、若者が爆弾抱えて自爆攻撃をする。日本人は賛美した。我家では「あんな戦争で死ねるかよ」と吐き捨てた。なにか勘違い、誤解していないか。それが日本の価値観かい。

今朝の産経には、福島の処理水放出に、「脱炭素 実現の一歩」と見出しになっていた。これが産経の正体だ。これほど日本人の精神構造、思考はダメなのかい。まるで太平洋戦争やな、と思ったよ。こう思うのが私一人なのが、何か辛いかな。しかし親父や祖父たちも、当時の国策に「違う」と考えてきた。カネや権力よりも大切なものがあるで、とな。

甘いか。私は一人になっても、それでよいと思っている。死んでいった風力被害者のことは何度も書いた。『風力発電の被害』は、由良町ではタブーになっている。被害者の家族が、とくに厳しいのは、見ていて知っていたよ。だからと言って、添付資料のように、抗議することは決してなかった。

【関係ない】ということだ。私に対する憎しみだけが繰り返される。全国のエセ反対では特にそうやな。土砂崩れが心配かい。終わってるで。