由良町の風力反対運動

私は由良町で引き起こされた風力発電の被害を、何が悪いのか分析しながら書いている。得手の悪い部分もあるから、正確に欠ける、と感じる人もいるだろう。h19年に汐見文隆医師が由良町に来て、「風力発電と低周波被害」について講演する。主催者は、伊豆のメーリングリストに載っている人で、黒田街子さんらのグループだった。

h19年の『左脳受容説』に出てくる広川町の風力被害に参加している。しかしそれは後から聞いた話で、当時の私には何一つ知らされることはなかった。蚊帳の外、後日に門前地区での署名運動にもまったく無視されていた。今もそうだから、その時私が署名しなかったことは、瞬間の判断としては上出来だったと思っている。

添付写真の中村地区2000kw,5基は、h23年9/30日に稼働する。狭い由良谷に、ドウッ、と低周波音の空気振動が広がる。一番奥になる畑地区では、多くの人が飛び上がって被害の酷さを訴えた。h19年の署名運動では、畑地区は全員署名に反対、拒否したという。風力を受け入れた、という意味だよ。

既に1000kw,16基が出来ていたからね。今さら、と考えたんだろう。その時にはもう風力被害があって、4軒の被害者宅に二重サッシを設置して、以後、苦情は言わないと契約を交わしたと聞く。由良町役場がやった。そんなことは田舎社会では通通で、世事に疎い私にまで伝わってくる。(2018.1/22日のページに録音がある)。

畑地区、中地区、門前地区、里地区、阿戸地区、と続くけれど、狭い谷あいの町だからね、みんな引っ付いていて低周波音には区別はない。ヒソヒソ話は大好きだ。私が署名を拒否した理由は、風力推進・反対、の区別はなく、白紙の趣旨に署名捺印を言われたから。

たとえそれがエライ坊さんであろうと、地域風土のシガラミであろうと、その人たちを信じるわけにはいかなかった。なんせ蚊帳の外、でしょ。人をアホにするな、ということだ。結果として門前地区には風車は立たなかった。計画予定ではJR由良駅近くまで風車が林立する危険性はあった。

たぶん、門前地区では私を除く全員が反対署名しただろう。白紙委任でな。私にはそこまで見通すすべがなかった。私を敵視する人がいたから余計に反感もあった。こんな経緯で、h23年11月末に、谷口愛子さんから悲鳴のような電話が来る。被害者たちは由良町役場に助けを求めていた。それを役場は否定する。

やがて弾圧の嵐が私や谷口さんに襲い掛かる。東伊豆町や広川町、各地で、既に被害の隠蔽工作は成功しているからね。赤子の手をひねる様なものだった。「考える会」のトリック。私はまったく拒否されていたね。引き剥がし。孤立化。情報遮断。取り囲み。環境運動家が、何重にも取り囲んでほくそ笑んでいたものよ。

みんな分かってやっていた。地域の人も、被害者本人もな。谷口さんは猿回しのサルになっていた。低周波音被害者の会の窪田泰さんがそう伝えて来た時、取り巻きの悪意を見る。最後の石狩での公演は有名だけれど、誰も谷口さんが風車病で死んだとは言わないでしょ。

彼らは風力被害を否定する御用学者を担いで環境運動を楽しんでいる。エコなのか、とかね。被害者が苦しみながら死ぬ。普通ならその恐ろしさを訴えるはずが、その部分だけ「ない」。低周波音の被害があるからこそ、「止めろ!」と訴えるところが、「考える」でしかない。何を考えるんだろうね。

お花畑。思考停止。指示されたとおりの言葉。オウムの姿を見る。東北や北海道の自称・風力反対はそうなっているでしょ。実は、全国どこでも同じ対策になっているけどな。「私たちは土砂崩れが心配です」なんてスローガンは、その典型だろう。さて由良町の現実を見る。

結局、風力に反対するとか言って署名した人でも、全員が「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。私に対する憎しみは、見ていてゾッとするほど堅固に凝り固まっている。あるいは嘲笑か。谷口愛子さんの話などは、もうはるかかなたの昔話よ。今も低周波被害で苦しくてならないのにな。

被害の否定、被害者の拒否。みんな大喜びだよ。常に心理的なネジを巻かれているようだ。被害者に対する優越感。差別意識と言ってよいだろう。これだけのレベルでしかないのだった。我家は旧家だから、これまでたくさんの親切や努力を重ねてきたと思っている。それが正反対の反感になっている。

エラそうなんだよ、とな。あれま。被害者のアホにされて死んでいく有様よ。人はそれを見て嬉しくてならない。アンタもそうでしょ。西洋では、そんな風力発電の被害に「NO」と言って抗議している。そりゃぁ、被害を否定する人はたくさんある。検索したら風力コマーシャルで溢れている。

しかしな、被害を受けたら、現実の被害を目にしたら、彼らは「Stop wind turbines !」と言って真剣に抗議しているんやで。日本に、それがないのは、とても不幸なことだと思っている。これは譲れない線だ。