サバイバル survivalの原理

我家の歴史は古くて、京都から都落ちしてきたのが藤原時代と聞いている。平将門の時代辺りだろうか。何度も出入りがあったと聞いている。今住んでいる自宅も、江戸時代には兄弟で三軒の家が並んでいたと言う。浄化槽の工事で家の前を掘った時、たくさんの瀬戸物などの昔のゴミが埋められていた。

なかには骨壺の様な塔を形どった品もあって、慌てて埋め戻したものよ。谷川を埋め立てて造成したから、大昔の貝塚みたいなものか。墓は裏山にあって、慶長の年号が書かれてあったらしい。今は石クレになって、新しい墓の横に据えられている。昔はその周りに家族の人が埋められたと聞いている。

火葬か、土葬か、長らく土葬が有ったらしい。近所には開山興国寺という臨済宗の禅寺がある。たまたま北条政子の荘園になっていて、実朝の墓がある。高野山と交流があったので、チョンマゲでも埋めたんだろうね。今も笹竜胆の家紋で覆われている。後日、15代将軍の足利義昭が1年余り逗留したらしい。

同じ源氏だからね。その時の置き土産の太刀が素晴らしい。近くの道成寺に展示してある。刀好きにはたまらない見事な一振りやで。銘が違う、と新聞記事にあったけど、どうかな。室町から戦国時代に、もう偽名があったんだろうか。そんなことより、なんとええ刀やな、と感心するばかりよ。

我家には裃と短刀が残っていた。太刀は三つに折って竹割の鉈になっていた。鎬を叩いたから刀身の中身が出ていて、昔の古刀やなと分かる。江戸時代の刀、新刀にはこんな作り込みはない。それに切れ味が違う。昔の古刀は、吸い付くように切れるからね。贅沢な体験だが、やってみると分かるで。

それに比べると現代刀なんて「あれっ」と思うで。同じ刃物、形は立派できれいにしてあっても、使い比べたらこんなに違う。昔から、刀好きの人がいるはずだよ。さて、私は広くて古い百姓屋に一人で暮らしている。家が、少し傾いてきたので平行四辺形、というのか建具に隙間が出来て、蚊が入ってくるのだよ。

風通しが良いと言えばそれまでだが、親からは、もう触るなと言い置きされている。家を新築したら大金がいるし、大変だからね。無理しよすな、と言われたものよ。由良家の最後としては、こんなものか。よくも千年続いたものと思う。古い書置きなどは、曽祖父が興国寺の坊主を呼んできて、お経と共に燃やしてしまった。

決心したものがあったんだろう。私といえば2haの田畑を耕して自給生活できている。先祖のおかげだ。小作農とか、年貢とか、昔は結構貧しい地域だったと聞く。興国寺の年貢(というか税金)に米、四俵半だったらしい。一般の百姓が2斗(30㎏)、最近になって皆平等やないかという人があって親父は大喜びして2斗になった。

今は現金5千円よ。その興国寺も坊主不足でさびれて今は一人だけ留守番の人がいるという。関南第一禅林。和歌山の南方で、No.1と言っていた寺がこの有様やで。我家はずいぶんと尽くしてきたと聞く。それなのにボロクソやな、と笑えてくる。人心の荒廃が見ていて息苦しくなる。ナンやこれは、と言葉もないのだよ。

いや、私が先祖の様に活躍すればよいじゃないか、と言われるか。どんなに努力したって、親父や祖父の結果を見ていたら、そして今回の風力発電の被害を見たら、人ほど当てにならんものはないと分かるやないか。由良町は港町だから人の移動は日常だ。歴史的に見ても南海道、九州、四国、和歌山と、黒潮に乗って人が移動する。

由良港はどん詰まりよ。だからほとんどの人は九州人か四国の人ばかりよ。我家のように京都から来ました、なんてのはない。初めから対立の構造が出来上がっているんやね。敵視、蔑視の正体が明らかになる。それでよくここまでやってこれたな、と先祖を見て思うのだ。地元の寺やお宮に寄付してきた意味がよく分かる。

親父の世代まで、それが続いた。私は何もやっていないな。貧しいのはお互いさまで、何もわざわざ無理して金を寄付する必要もあるまいと思ってきた。それを周囲は敏感に感じ取ったのかもしれないね。「エラそうに」とはよく言われる言葉だよ。私はとくに意識しているわけでもないけどな。

由良町では、初めから風力被害を訴えているのは私一人であった。いや、たくさんの被害者がいて、助けを求めていたけれど、みなボロクソに弾圧されて変わっていた。虐待されると、人は人間性を失う。言葉をなくしてしまう。あとは私に対する恨み、憎しみだけが繰り返されていた。もう近寄れないし、御免だね。

周辺の広川町や日高川町、印南町でも、私を拒否している。低周波音の被害はない、と叫んでいる。べつに私にそんな言葉で怒らんでもよいものをと思うんだよ。だからネジを巻かれていることが分かる。それらの地域には、私のように「風車を止めてくれ」という人はいなかった。

議員さんは裏切り、というより風力側の人ばかりであった。アホにされて終わりよ。そこに住む人は誰もが本当の風力被害の仕組みが分からない。受け付けないのだ。それは由良町だって同じだね。私一人の発言では、笑いものにされて終わってきた。開山興国寺だけでなく、たくさんの関りがあったと聞いているのに、この有様さ。

係累はない。今回の風力発電の被害は、h18年の東伊豆町に始まり、全国展開して、同じ被害を繰り返している。誰もこのカラクリを弾劾する奴はいないね。TwitterなどSNSを見渡してもお花畑だけだよ。アメリカやヨーロッパではそうではないことは紹介したとおりだ。

それだけ日本人が島国根性、田舎者丸出しで支配されていることが分かる。普通なら、風力被害を受けてあんなに苦しんで死んだのを見たら、「止めろ」というのが当たり前なんやで。アンタは偽物だ。私は今日も本物を探して風力被害の仕組みを書いている。