どれだけ惨めに敗れようとも、

このページを書いている理由は、私が低周波音被害に苦しんでいること、被害の原因が、風力発電の発する有害な低周波音であることを伝えるために、そして被害者に対する弾圧に抗議するために書いている。もともとは和歌山市の汐見文隆医師が始めたことらしい。低周波音被害者の会を窪田泰とやっていて、全国の低周波被害者が集まっていた。

工場や工事現場、コンビニなどの空調設備、エコキュートやエネファームもあった。h18年の東伊豆町での低周波観測はあまりにも有名だ。周波数2㎐の所に卓越した被害成分が見られる。「これだ」と汐見先生は確信したという。世界的にも、同時期に同じ調査研究が行われている。ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』は世界的なベストセラーだよ。

今も支持者がたくさんの記事を書いている。批判記事も多いけどな。どちらが正しいのかは、世界の風力反対デモを見れば明らかよ。被害症状も含めて、「NO」、「non」、「nein」と評価は決まっている。検索して見たらいいで。私の抗議理由を書き並べたけれど、毎日この記事を書いているうちに、日本独特な無責任体質、生贄願望、悪意の連鎖が明らかになっていく。

ちょうど水俣裁判や、福島の被ばく被害があって、公害にはどれも共通した人災、弾圧が行われていた。風力裁判。私もやられたからね。ところが周囲の人々は大喜びさ。誰も味方になってくれる人なんかいなかった。孤独、孤立、一人さすらうしかなかったのだ。たまたま先祖に安政の大獄に遭った由良守應がいた。牢屋暮らしと追放処分。

残された罪状には酷い作り話が書いてある。私が子供の頃、まだそんな昔の事件が伝えられていて、近所の子供たちにからかわれたものさ。刑務所に行っていたんやで、とな。我家は本家で、守應は分家になる。ただ、私が最後の相続人だ。人々との意識差は、先祖が南朝方について戦い滅んだことにある。各地を流浪したと言い伝えられている。

福井の竹田川の辺りに暮らしたとか、高野山に住んでいたとか。由良の庄に帰るのに二百年もかかったとか。その割に近所の古刹、興国寺に鐘楼を寄進しているから経済的には基盤があったんだろう。紀州藩にも勤めに出ていた。その伝手で守應は殺されずに済んだんだろうね。吉田松陰などたくさんの志士が殺された。

守應は鳥羽伏見の戦いの後、紀州大納言茂承(もちつぐ)の供をして参内したと聞く。歴史の裏舞台で活躍したのだ。御坊警察による嫌がらせと、取り調べのアホらしさに、下関市で行われた風力裁判がかぶっていた。ボロクソやな、と思ったよ。守應の弟、渓五郎は長州藩士になっていたから、これも何かの縁かと思ったけど、山口県はなかなか難しい。

あれだけ風力被害者を出しながら、風力の被害など聞いたこともない、と言っていた。由良町でも同じ言葉を聞いているけどな。何がこうまでして人々の意識をコントロールしているんだろうか。たしかにテレビや新聞では風力発電のコマーシャルが溢れている。SNS、twitterなどでは風力コマーシャルが常に流されている。

それがかなり洗練されていて、心理操作、催眠術のように浸みていくようになっているのだ。低周波音被害者には耐えられない心的苦しさを味わう。精神的な弾圧やね。土砂崩れが~、と人々は繰り返す。被害者に対する迫害が面白いのだ。彼らは同じ言葉を使うから連携していることが分かる。同じ価値観で、私や、風力被害者に圧力をかけて喜ぶのだ。

これが風力被害地の現実だよ。水俣でも福島でもそうでしょ。「止めんかい」と私は言い続けている。それを見て、人々は大笑いして喜ぶのだった。「アホよら」と。私はまだ生きて怒りの言葉を綴っている。風力発電の麓にはたくさんの被害者がいて、泣きながら死んでいった。それを見て人々が笑いものにする。面白いでしょ。

後醍醐天皇の南朝は、ボロボロになって滅んでいった。後南朝とか言って、いろんな物語が残されている。たまに刀剣会などで、「わが先祖は後醍醐天皇を擁し奉り笠置山で、」と老人が言い出すのを聞くと、私はもう泣いていいのか笑ってよいのか分からなくなる。あの安岡正篤でさえ、わが先祖は南朝方で戦いまして、と自慢げに話している。

どんなに惨めに敗れ去っても、それに参加した人たちは今も胸を締め付けられる思いを共有する。全国にはまだ私のような感慨を持つ人がいるでしょ。因みに私の祖母も曾祖母も菊水紋のお嬢だよ。大坂の戦で敗れた後、楠一党が、由良家の子供を由良まで送り届けてくれたと伝えている。彼らだって大変なその後があったのだ。

日高町にはまだそんな一族が暮らしている。すべて血縁だ。同じような言い伝え、物語を聞く。風力発電の被害は、こんな歴史や文化、伝統までを消し去っていく。たぶん畑地区にも古い物語はあるだろう。それらを否定して憎しみだけが纏いつく。社会は破壊される。時代の波か。

いやいや、南朝と言う言葉が残り、我々の様な魂を伝えたように、各地にはまだまだ燻ぶった人材があると信じたい。世界を見渡せば、正解は既に明らかなんだから。