環境ゴロ、お花畑の悪意

東ドイツの人と話していて、再エネや反原発の源流を見たことがある。「緑の党」もこんなのかな。企業活動が嫌いで、メルセデスとかSTIHL(スチール)の農機具屋も最低な人たちと扱き下ろしたもんだよ。メルヘン(Märchen)、独特な思想にとても付いていけないながら、私も田舎の貧しい農家育ちなのでね、そういう自然の中の生活もあったよな、と共感することもあった。

日本ではそれを「寂れた」と言うんだろう。発展、発展と繰り返す政治や行政とは対極だ。再エネで町おこし、なんてのはドイツ人の思想にはない。日本人の誤解、無知だよ。日本の各地でやっている自称・「風力を考える会」ってのは初めから疑問の声が付きまとう。言葉は違うけれど環境省の繰り出す被害否定の内容と同じものだからだ。そこに登場する学者たちも皆、同じ話し方だったでしょ。

千両役者やな~、と講談師のような彼らの活躍ぶりを眺めたもんさ。風力被害者がいて苦しんでいるのに、それを見ながらその人を否定する。鬼やな、と顔を強張らせた彼らの悪意を見たもんさ。なかには精神に変調をきたした人がいて、段々と目つきが可笑しくなっていく人がいた。「どうも顔付き、というのか行動がヘンなんだよ」と低周波音被害者の会の窪田泰は伝えてきた。

ヤクザでも、鬼瓦のような顔になっていく人がいるでしょ。人間が持たないんやね。せっかく有名大学の教授に座りながら、誰にでも見え透いた嘘話を真剣に説明する。もともとが頭の良い人だから真実は知っているだろう。ご自分が話す、ウソの重荷に耐えられないんだろうね。

谷口愛子さんが各地で話したように、御用学者のアホらしさは聞いている人でもとうに分かっていたと思う。それでも聴衆は、その学者を有難がって担いでいる。各地の主催者は、しょせん地域対策だからね。ピエロとしての開陳さ。猿回しのサルにされて、と窪田泰は怒った。悲惨な光景だよ。かたや、チヤホヤされて有頂天になっている。

同じ低周波音被害者なのに、どちらが、という判断もない。出口のない被害に、悲しみでしかなかった。「早く死んでくれればよいのに」、その通りになった。予定通りだった。周囲の被害者はドンドン死んでいたからね。それが見えたんだろう。ヤフーで「風力発電被害」と検索したら、私のページがたくさんアップされていた。

これまでは風力キャンペーンのサイトで覆われていたもんだけど、もちろん今もそんな被害隠ぺいの工作は続いているけど、風力の何が悪いのか日本人にも伝わっているようだ。何を言っても通じないアホはどこにでもいるけどな。「由良町、風力発電被害」と検索すると、これはもう私の独壇場となっている。初めから一人舞台だった。今も私一人が風力被害を論じている。由良町の人は誰も見ない。

人々はインターネットをしないからね。タブレットを持っていても天気予報と時間しか見ない。スパイ工作員、現地要員は常に私を見張っている。風力のイヌよな。権力の末端になって喜んでいるのだ。原発地域にもいるでしょ。気持ち悪いわな。水俣にもいて、私にもすぐに分かったよ。

可哀そうにな。その地域の風土病として、誰にもどうしようもない【業】がある。哀れな社会だよ。それが風力発電地域と被さっていた。そっくりやな、と思ったよ。いいように管理されるんやで。それをまた住民たちは喜んで受け入れている。お上の言うことには逆らえない。これって民主主義じゃない。専制政治、全体主義やないか。

ヨーロッパやアメリカのように、なぜ日本人は健康に生活する権利を主張しないんだろうか。これだけ風力被害が明らかになっても、「Stop wind turbines」の声はどこにもない。せいぜい「土砂崩れが心配です」というばかりだよ。アホしかないんかい。自分たちが今、どんな状況に置かれているのか認識できないのかね。

低周波音の被害を否定する、その根拠は何だろう❓ と自分で考えてみないか。SNS、twitterでも受け売りニュースばかりで、派手なコマーシャルに「いいね」が殺到する。日本人にPhilosophyはないのか。発想、思いつくことはないんか。言われたことに従順に反応するだけ。ロボットやないか。

まるで家畜やで。エコロジー、ビオトープ、自然との共生、こんな言葉もすっかり廃れてしまいましたな。人々の心の荒廃が明らかになる。モラルも道徳もない。「破壊」が進行する。ウソの風力発電に立ち向かう人はいないものか。かつては「黙殺の音」だの、低周波音被害者の会など、地の塩となって訴える人がたくさんいたやないか。

日本だけ、なぜな、と思わないか。東北や北海道のように、風力発電が林立する中でそれに繋がれて人々は笑って暮らしている。異常だとなぜ分からないのか。正常とは何か。正義とは何を言うのか。「土砂崩れが心配です」じゃないわな。土質試験が重要です、なんて学者はアホの見本やで。