イプセン『民衆の敵』について

この本は悪いな、と思ったよ。私の事が書いてある。もう随分と昔の本なのに、たまにこんなアホがいて、大変な目にあって泣きべそ掻く。社会はそんなものじゃない。簡単に片が付くことなんかあるはずもないのに、単純な正義感に突き動かされてしまう。しかし後悔はない。なんで? と人に聞かれたら、「私たちの事じゃないか」と言葉にする。

たとえどんなに悪口を言われようが、その弾圧こそが理由になる。私もアホよな。h24年、由良町で一人、風力発電の被害を訴えていた時、『ハンナアーレント』、『アイヒマンの末裔』の映画が流行っていた。『服従の心理』もあったかな。ユダヤ人の虐殺には、ユダヤ人のリーダーが関わっていた。タブーだったのに、それをハンナアーレントはバラしてしまう。アカンわな。

ちょうど新聞でも、「アンネの日記」の被害者をナチスに売り渡したのは、やはり同じユダヤ人であったとニュースにあった。それで彼は命が助かってアメリカに逃げたのだという。添付したジョニーデップでも、ニーナビアポントでも、共通した正義感を見ないか。社会悪と言っては、あまりに大きくて、誰かが明らかにしてその悲惨な現実を改革しなくてはならんだろう。

もしそれを言葉にしたらエライ目に遭う。その原理をイプセンは書いてある。特殊な人じゃない。普通に、どこにでもあるオバちゃんやオッサンなのだ。カネが目当てじゃないことは、結果を見れば分かる。彼らは、本当は何を目指したんだろうかね。人間のどうしようもない弱さ、善意とか正義感とか、許せない心境に憑りつかれたんだろうかね。

ニーナビアポントの第一章はトップページにアップしているから読んでみたらよい。これが「Wind Turbine Syndrome」だ。アマゾンの書評には、それこそひどい書き込みがあって、これが原因やな、と分かるのだ。汐見文隆医師の本にも、同じことが書かれてあった。御用学者による低周波音被害の否定であった。実際には被害の現実がある。

否定しようのない被害者の存在を前によく言うわな。由良町ではそれが弾圧、虐待、嫌がらせになって爆発した。泣き叫ぶ被害者を見て人々は大喜びして踊って見せた。私には地獄の風景よ。人々の正体をこれでもかと見た。見てはならないものを見た責任がある。そう思ったのだ。結果は、その昔から決まっていて、ホロコーストでも水俣でも、被害者だけがワリを食う。

「私たちは知らなかったんです」とは今も続く名言よな。由良町では「関係ない」と吐き捨てる。歴史には、こんな清々しい人がいるから信頼感もあるんだろうね。検索したらスティーブ・マックイーンが『民衆の敵』を演じたという。うまく行かなかったようだが、それでも繰り返したらしい。つかみようのない魅力に取りつかれたんだろう。私の場合はどうかな。

とてもこれらの人には及ばないけれど、同じ精神を見るからとても安心する。腹中、人アリ? 本有り、かな。人が低周波音被害にあって苦しみ狂い死んでいく。なんで笑いものにして喜べるか。鬼やないか。「あの人は人間だとは思っていない」そう恨みの言葉を残して死んだ被害者がいた。それも笑いものにされてボロクソだよ。私なんか総スカンだからね。

これを社会の崩壊と言わずに何と言うか。隣町の印南町や日高川町でやっている、ヘンテコな風力反対は何の意味や。「土砂崩れが心配だ」という。そこには既に風力発電による低周波音に苦しみ悶える被害者がいる。その上で土砂崩れだと繰り返す。アホに付ける薬はない。せいぜい私の悪口を言えばよい。死人に口なしという。

死んでいった被害者が、その辛い症状を懸命に伝えたことを知っている。ストックマンはいなかった。私はもうごめんだね。君子危うきに近寄らず。世界中で風力発電の被害に抗議しているのに、日本だけ、それがない。人々は、進んで風力被害を喜んでいる。自己家畜化というらしい。ルールを守れ、とか。何のルールや。太平洋戦争やないか。

日本人が、これほどレベルが低かったとはな。奴隷根性。世界ではアホにされるんやで。日本でも、真実の被害を言葉にしようじゃないか。ウソつくな、と言ってやれ。

Farmers win wind farm battle, court rules turbines too noisy (theage.com.au)
https://amp.theage.com.au/national/victoria/farmers-win-wind-farm-battle-court-rules-turbines-too-noisy-20220325-p5a7ve.html