何を言っても通じない。

h18年の東伊豆町の風力発電の被害に参加した窪田泰さんは、汐見先生とともに被害者宅に泊まり込んで低周波音の観測を行った。風力発電独特の分析図、2㎐の所に卓越した被害成分を見る。東伊豆町の被害調査報告書は全国に発信されて、各地で風力発電計画に影響を与えていく。

同時にドイツなどでも同じ風力被害があって、Die Welt誌に見られるように、風力反対、抗議デモが各地で引き起こされている。しかし窪田さんの伝える情報によれば、「みんなウソつきばかりだよ」と吐き捨てた。東伊豆町の風力反対は、すぐに潰された。内部から崩壊したようだ。「私たちは風力発出には反対ではありません」と言うんだから、話にならんわな。

彼らにはドイツの風力反対のニュースは届かなかったんだろうか。h30年になって、「土砂崩れの心配もなくなってきたようだから、人々が戻り始めている」と各地の自称・風力反対の人は言っていた。アレ? 東伊豆町の風力被害は、土砂災害だったのかい。可笑しなこと言うな、と思っていたら、各地の環境運動家たちはみな同じフレーズを口ずさんでいた。

オウムだよ。それで彼らの正体がすぐに分かるようになっていた。土砂崩れが心配なんです、とな。低周波なんか測っても意味ないよ、と言うのだった。今も全国の環境運動家たちはそう言っているでしょ。組織の一員として、仲間との連携の証として、精神性を明らかにして見せるのだった。ナチズムよな。

悪意の表現なんだが、社会運動の一環として被害者を否定して弾圧を加える。いかに彼らが悪党であることか。あたかも心配するフリをするから、マニュアル化されているから被害者には分からない。そこで地域の有力者、役場から誘いの言葉が入る。閉じられた密閉社会の惨劇だよ。

かつては、それらの風力被害者の症状を表にまとめて取引材料にしていたものだけど、今はそれもない。低周波音の被害は認めない。強力な強制、支配、弾圧を見る。東北や北海道の風力発電が林立する地域にはたくさんの被害者が苦しんでいることだろう。どうやって消し去っているんだろうね。

民族浄化政策、いらん人は地域から叩き出したり、施設に閉じ込めて殺すんやろうか。精神疾患のもの、と法律にしてまで嫌悪するからね。理由が付けば人権も尊厳もない。ボロクソに消し去っていることだろう。可哀そうなんて感覚はどこにもない。由良町で見たとおりだ。谷口愛子さんの被害の訴えは全国に伝えられたと思うけど、誰も同情しないからね。

「我々は、やっぱり土砂災害だ」と繰り返すのだった。どこかに土砂災害があるんだろうかね。「それが心配」、なんて偏執狂じゃないか。低周波音の被害に苦しむ人をアホにしまくり、土砂災害の言葉にすり替えているだけ。便利なトリックだ。たぶん、地域の人は皆分かっている。

工事をしてもらえるんやで、と言うことか。ここで私は、なんで誰も風力発電の低周波音被害に抗議する人がいなくなったのかと感動しているのだ。これこそが核心ではないか。真実の風力被害とは、低周波音被害、風車病だ。目には見えないし、どこからその災厄が襲ってくるか分からない。

周波数2㎐と言えば波長は170mか。気圧変動で、どこにも逃げ場所はない。これが1㎞離れても30dbの差異で上下に空気振動を繰り返す。1000倍のエネルギー変化だ。風車の麓に行けば10000倍のエネルギー変化を観測する。健康に影響するんだよ。なぜ、各地の環境運動家はそれを無視するのか。つまりは風力の手先、営業をやっているのだ。

ウソつくなよ。倫理観、道徳はないんかい。風力発電地域の人々は、実に思想統一されている。由良町の北隣、広川町は母の実家がある。南隣、日高町は祖母の実家がある。どちらにも親類や付き合いがあって、彼らの考えがこれでもかと教えられる。「お上には逆らったらアカン」そう言うことか。太平洋戦争では、召集令状を拒否したやないか。

その心意気はどうなったんやと思う。 完璧に破壊されているのかい。反対できない理由があるんやな。自然エネルギーとかサステナブルとか。それもすべて嘘八百やで、と言っても通じない。どこまで遡ればいいんだろうか。ウクライナでもイスラエルでも歴史的な経緯があるから解決が難しいという。

同列には言えないだろうけど、風力発電の歴史なんか、せいぜいこの10年やで。検証したか。詐欺なのは見ての通りやないか。今や日本では私一人が風車病の苦しさを訴えている。他の被害者さんのアホなことよ。もう人間ではない、と見る。それらの地域は丸ごと人間牧場かい。自己家畜化した人々の、私に対する憎しみを見る。

どこからこんなにも乖離したんだろうか。私は私で一つの境地に立っている。もう彼らの様な奴隷根性は見たくはない。彼らだって、家畜として培ってきた理由があるだろう。被害者は生贄よ。昔はさらし首とか、磔とか、人柱の生贄とか、つい百年前の習慣としてあった。由良守應は安政の大獄でやられたけど、吉田松陰らのように殺されなかった。

明治の粛清でも、さらし首にされることはなかった。無事に明治維新を駆け抜けた。岩倉具視らとヨーロッパの視察旅行はずいぶんと楽しかったと聞く。現代にはそんな志士はいないね。

どこかにいても可笑しくないんだが。答えは既にある。ドイツやフランスの風力反対を見れば、日本人も同じ対応でしかない。その真逆を、無理矢理強行するのかい。それが時代のニーズかい。その理由を知ろうじゃないか。亡国の論理、アホにされて笑われるだけか。