風力発電の秘密を知ろう。

日本に初めて風力発電が建設されたのは30年前、竹下登内閣の時の「ふるさと創生資金1億円」だったと記憶している。私は土木科を卒業して設計施工の現場にいたからね。今も「土木学会誌」を購読している。アメニティ、ウォーターフロント、サステナブル、とか、たくさんの業界スローガンを見てきた。

その中で大失敗だったのが各地に建設された風力発電だった。当時の担当者たちはまだ生きているんでしょ。「風が吹かない」と言って苦笑いしていたじゃないか。それでジャマになって撤去したんでしょ。常識的に考えて、30年経ったら風が吹くようになって、技術の進歩で発電が可能になったとでもいうのかい。

インターネットの天気予報には風速が書いてある。窓を開けてみな、巨大な風車を回すだけの強風は吹いているかい。私は山の上で蜜柑を作っているから、もしそんな強風が毎日吹いたら、とてもじゃないが仕事にならない。つまりな、電気仕掛けで風力発電は稼働している。たまに強風の日はあるけど、毎日じゃない。

8月の夏場なら、無風の日が続く。11月になれば小春日和の穏やかな天気があるだろう。発電、電源として役に立っているとは思えない。税金でやっているのに、検証がない。こんなバカらしい分かり切った詐欺事業に世界では各地で反対、抗議デモが繰り返されている。

もう10年も前、そんな海外の風力反対を見ながら、「ドイツでは上手く行っている」と行政や政治、環境運動家たちは繰り返していた。海外に知見はない、と環境省の報告書には健康被害を否定した。「納得してもらえ」と無茶苦茶な手引書を連発していたよな。日本では、誰も風力反対、と抗議する者はいなかった。

もしそんなこと言ったら逮捕だよ。風力裁判を経験して、いかに日本の警察や裁判制度が歪んだ暴力組織であるかを見た。由良町の人々は大いに笑って喜んだけどな。これは谷口愛子さんら風力被害者を笑いものにして殺してしまう心理と同じものだ。

これまで仲良く暮らしてきたと思っていたけれど、蓋を開けてみると、見るも無残な軽蔑、蔑視、憎しみしかなかったのだ。パンドラの箱やな。エライ箱を開けてしまったんやで。神話にあるように、希望なんて光輝くものはどこにもなかった。真っ黒けな人々の心の闇が、これでもかとぶちまけられたのだ。

私は由良町議会で延々29回も一般質問で風力発電の低周波音の被害を訴えた。議会は、町長は、風力被害を否定した。懲罰議会、辞職勧告、総スカンの議員選挙、やれることは何でもやってきたつもりだ。誰も味方になる人はいなかった。民衆の敵、人々には嫌悪の的でしかなかったようだ。

もともとがアホ役だと思っていたからね。それが日本中探しても私のようなのは一人もいなかった。各地では風力被害により、たくさんの被害者が苦しんでいるのに。海外で見られるように「Stop wind turbines !」の言葉はなかった。それどころか、私たちは風力発電には反対ではありません、と紋切り型の答えばかりが用意されていたのだ。

オイオイ、日本人よ、どうしたんだい? と私は笑うしかなかった。アフリカや南米の土人ですら、風力被害に抗議デモして怒りを表している。ハワイの風力反対では、原住民が大量に逮捕されて拘束されている。それでも彼らはあきらめない。ブラジルのパライバでの風力反対も有名だ。

どんなに弾圧されても住民たちはあきらめない。人間の尊厳とはそんなものだろう。ヨーロッパやアメリカでも同じことなんだよ。それでな、私は日本だけ何でやろ? と考えてきた。日本にも自然保護、環境論に詳しい人がいる。ジャーナリストや新聞記者がいる。それが、なんで海外のそういった風潮を伝えないのか。

日本人がそもそも島国根性で閉鎖的だしな。田舎者はとくに、外人を見ただけで逃げ出したくなる。同じ人間だとは思えないのだ。恐怖感が先に来る。国際化だという現代でも変わらない。150年前、由良守應はそんなヨーロッパ社会に飛び込んだ。よっぽどの変わり者よ。

牢屋暮らし、刑務所生活、それが彼の活躍とどうしても繋がらない。「女の人のお尻を触ったから」祖母は守應をそう言っていたけれど、本当の理由があると感じている。60年前の世間では、その弱点を人々は笑っていた。刑務所に行っていたんやで、とな。近所の子供たちが私にそう伝えるのだった。

どこかにトリックがある。我家だけの秘密の世界よ。それが江戸城清水御門前の4291坪の結果だと見る。由良町の人にはその秘密が分からない。変わり者。私はそうやって守應のエライ闊達な人生を聞かされてきたからね。彼の顕彰碑の建立に除幕式の綱を引いたのは幼児の私一人だった。運命の一瞬よな。

どうせ人々には分からない。人間の素質が違う。それでもな、被害者たちは、風力発電の低周波音で苦しみ狂いながら、涙を流して、何とかしてくれよ、と泣くんやで。人間の真似かい。もう動物みたいなもんやろ。結論は見ているから、哀れな事件だと記憶している。

なかには大学を出ている識者もいるから、何か言葉にして残せばよいのに、誰も何も残してはいない。谷口愛子さん一人だけが新聞に投稿したり、各地に出かけて行って話を伝えていた。他の地域にも、こんな風力被害を伝える人はいないでしょ。ましてや風力被害に抗議する社会運動なんてあるはずもないか。

「土砂崩れが心配です」ってか。川の水が濁る、とか。よくもそんな出鱈目を言って被害に苦しむ人をバカにできるな。人間のすることじゃない。結局、どちらにせよ人間放棄、社会の崩壊にしかならなかったのが日本の現実だ。なぜ日本だけが、こうまでしてダメなのか。その原理主義を由良町で見る。

アホよら。関係ない。キミには分からないだろうけど。