なぜ被害者を嫌悪するのか。

水俣病の最初の話は、被害者に対する差別、嫌悪であった。汚いもの、そのように思われていたようだ。広島の原爆被害でも、被害者はエラク嫌われたと聞く。災厄が感染すると思ったんだろうか。最近では福島の原発事故で被ばくした人が大層な弾圧を受けて苦しんでいる。裁判して戦った人がいる。コテンパンよな。

TwitterなどSNSではこれでもか、と被害者叩きの記事が載る。著名な評論家が嵩にかかって攻めたてる。私はそれを見て、もうその論客の記事は一切見ないことにしている。少しでも目にすると嫌な気分になるのだ。今朝の産経には特攻隊の記事があった。「笑って死のう」だって。東条と共に嫌いな記事だ。

私は風力発電の被害を訴えながら、よく特攻隊、自爆攻撃を比較にして説明を続けている。添付の週刊金曜日の記事には、「問題の大きさを取り違えてはならない」と書く。何か共通した「悪」を感じないか。我家ではs30年代、大叔父たちは「あんな戦争で死ねるかよ」と言っていた。徴兵を拒否した人もいた。

国防婦人会の会長だった祖母の心境は複雑で、息子を4人も戦死させた大叔母がいたから見られたもんじゃない。どこの家でも見られる戦後の風景だった。私がこのページを続ける理由は、由良町で、谷口愛子さんら、たくさんの風力被害者が苦しみ死んでいったことに、人々が笑い喜んでいる異様な社会風景に「待った」を表示することに尽きる。

私自身も重症の低周波音被害者だ。h24年に、蜜柑畑で気を失って転落してろっ骨を2本も折って苦しんだ。人々は手を叩いて笑った。なぜな? 谷口さんが亡くなった時も人人は大笑いしていた。エライものを見てしまった。水俣病の被害にも、こんな狂った場面はないだろう。これは由良町だけの事ではなく、他の風力地域でも繰り返されている。

それらの役場に電話して聞いた人もいるだろう。大勢の人が不信感をもって役場の説明に耳を傾け、質問したことだろう。「被害を訴える人はどうなるのですか」、知らんよ。日吉フミコの本には、水俣に住んでいながら、水銀被害者の事を知らなかったとある。学校の教諭、ある程度の知識人でありながら、それはないだろう。

それは置くとして、水銀被害を訴えると、石をぶつけられるわ、小便を玄関にされるわ、凄まじい弾圧を受けたとある。谷口さんも同じ被害を伝えてきた。ある日、「小便を畑の上から掛けられたんよ、なんか冷たい水が降ってくると思ったら、私を見て笑ってるんや。悔しくて泣けてくるわ」と言うのだった。実際に泣いて電話してきた。

よっぽど悔しかったんだろうね。それまでにも周囲の人から監視、と言うのか変な目で見張られている、イヤな感じ、と言っていた。議員選挙で助けてもらっていたから、なんかしないとな、と考えていた。それが結果として風力裁判にかけられて警察、検察、裁判所から叩きのめされるのだ。安政の大獄、「アンタだけでしょ」と言うのだった。

「懲役にしてやろうか」検察官の脅しに笑ったよ。由良守應を思い出す。家柄、血筋だからね。やっと自分が何者なんか分かった瞬間だったよ。だから今、各地でやっている自称・風力反対のカラクリがよく見える。私や谷口さんの話を直接に聞きながら、「やっぱり土砂崩れなんだよ」と繰り返す悪党たちの本音よ。何が大事なのか。何が真実なのか。

彼らには言葉が通じない。いや、私の住む周辺では、人々はハッキリと風力被害を否定している。その上で笑って喜んでいるのだ。恐ろしい恐怖世界やで。実は、全国どこでも同じ有様でしょ。日本だけ、低周波音の被害を社会的に、全体主義として否定する。被害に苦しむ者は水俣患者か、被爆者と同じ扱いよ。差別の対象だよ。

実際はよ、その地域が差別されて顔をしかめて見られることになる。東北や北海道の風車の林立する町を見て、こんな所に住みたいと思うか。笑って繋がれている人たちを人間だと思うか。ここまで日本人はアホにされている。世界の風力反対を見ても、日本人には何のことやら分からない。すっかり家畜化、奴隷化されているのだ。自己家畜化という。

自分たちから進んで風力発電に媚びる。人間性の放棄やね。世界的にはアホにされるしかない。誰が仕組んだ罠なのかと思う。