海外の風力反対デモを見ていて、つくづく日本のエセ反対の酷さが分かる。h24年の初めから言われていたことだから、実際に町会議員をしていて、地域対策のバカらしさをこれでもかと見せられてきた。たくさんの風力被害者が苦しみ狂い死んでいく。それでもダメだった。差別がどうのと言うよりも、社会が、人々が、風力被害を無視して何やら喜んでいた。「関係ない」、「アホよら」と言ってあざ笑う。
私の住む門前地区でも酷いものでな、誰一人として私に味方する人はいなかった。敵意を向けられる。私に対する憎しみ❓ なんだオマエは! と腹が立つ。非難のやり玉に挙がっていたようだ。直接に「ワシらは役場の言うことが正しいと知っている。オマエは間違っている」と告げに来る。勝ち誇っていたよ。アレアレ、つい先ごろまで「あの人、風力で悪いらしいで」と言って笑っていたのにさ。
ご自分も、もしかしたら風力の低周波音で影響を受けているかもしれんのに。被害者に対する蔑視。なんや、知っていて、被害者を否定して喜んでいる。h28年、『風力発電の被害』を書き上げると、「この本を読んでくれ、風車病で苦しんでいるのや」と周囲の住民に頼み込んでみたものさ。それまでには汐見先生に手渡されて冊子、風力被害の資料をコピーして渡していたからね。怒りを露わにして投げつけられたよ。あるいは手を振って逃げていく。
それほど汚いものなのか。精神汚染、洗脳とはここまで人々の社会性を変えてしまうのか、とびっくりし通しよ。今も変わらずそうだからね。風力発電の被害地になると、住民たちがどんな変貌を遂げてしまうのか、周辺の人にも伝わっていた。h18年の東伊豆町とか、最近では秋田や山形の風車群の中で暮らす人たちを見れば分かるでしょ。みんな喜んでいるんだよ。心理トリックの「考える会」を見ただろう。被害者を取りまとめて密閉して消し去ってしまう。
最初の頃は、精神疾患のもの、身体障碍者、プラシーボ、更年期障害、等々といくらでも言葉の暴力を浴びせていた。被害者にとっては精神的なダメージが大きかった。私も風力被害者だからね。ヘンな人になった奴を見ると、可哀そうにな、ぐらいのことは思ったさ。タダの笑われ者、嫌われ者として死んでいく。それが人々には面白い。生贄の儀式よ。タクトを振っている人・悪魔がいる。どの社会にも悪党がいて、田舎は特に悪い家が決まっている。
指が曲がっている、とか、かもたらあかん、とか、それぞれに言い伝えられていたやないか。類は類を呼ぶ。詐欺の風力被害では、それらの悪党は活き活きとして弾圧を楽しんだ。人物破壊が楽しい。ターゲットにされたらもう、目も当てられない有様よ。暴力を振るわれた人もいると聞く。みんな大喜びだったと言う。たまたま、畑地区で谷口愛子さんが、被害者がいて苦しんでいることを教えてくれた。自死した人もいると言う。
親子で死んでしまったとか。道理で暗い雰囲気に覆われている。すっかり狂人になり果てた人とかね。さすが差別地だ。恐ろしい現実なんやで。私はそのとばっちりを受けたということだ。もし私に被害感がなければ、ここまで言うかいな。いや、家畜のようになった人々に嫌悪している。地域対策のプロ、環境運動家が活躍している。風力とセットになった地域対策の罠だ。田舎者は馬鹿だから、話しかけられると小躍りして喜んでいる。
最初は拒否していた人でも、構ってくれると嬉しいのだ。私との差を見る。私に対しては厳しい眼差しで拒否しかないのにね。地獄に落ちろ。由良町の風力被害が、何でここまで悲惨を極めたのか、社会実験のようにして人々の真理は操られている。心理学の実験と同じ現象を見る。大学で「心理学」を受講した人がいるでしょ。難しい理論より、現実にコロリと言われたとおりの言葉を発しているし、そう見えるのだ。
人間の思考とか、感覚なんて、こんなにも簡単に操られる。アメリカのスタンフォード大の『看守と囚人』実験は有名だ。やってはいけない心理実験だとされている。後遺症が残る。ドイツのナチスとか、日本の軍人とか、死ぬまで治らないでしょ。精神に書き込まれた呪文は消えないようだ。何度か少年飛行兵に話を聞いたけど、今、生きていれば96才かな、命をかけて米軍と闘う、と言っていた。洗脳の恐ろしさよ。新しい人よ。真実に気が付こう。
日本は今、心理実験のようにしてウソに塗れている。一旦洗脳されたら、お花畑になったら、現実の被害が分からなくなるらしい。ドイツのホロコーストは現実にあったんやで。水俣病は本当の事実やで。福島原発の被害者もな。被害隠ぺいの罠がある。騙されたらあかんで。たぶん世界中の笑いものになっている。「non aux éoliennes」、あるいは「kein windpark」と検索して見て。少しググるといっぱい出てくるで。日本だけ騙されている。




