由良町は見ての通り地形的にも閉鎖空間になっている。狭い谷あいの町で、小さな家に住み、貧しく慎ましく暮らしている。日本の田舎町は、どこでもこんな具合だろう。北側の広川町では、汐見文隆医師に助けを求めたほど、酷い低周波被害があった。その時、同時に下津町の大窪地区でも、数人の風力被害者がいて苦しみ、集落を追い出されていた。9回も、県の環境課の人たちが来て、測定して被害を否定した。
ものすごい弾圧があってな、私も一度だけ参加したけど、泣いて被害を訴える被害者に対して、彼らはあざ笑い喜んでいた。公務員がだよ。議員がだよ。大勢で取り囲んで被害者を血祭りにした。周囲は有田のミカン畑が広がっている。その風力被害は、たちまち有田平野に伝わった。しかしな、ここでも奇妙な反撃が繰り返される。「本当の被害は土砂崩れやで・」というのだった。被害に苦しむ人に、そこに同情心はない。
せせら笑いと、被害者に対する嫌悪を丸出しにする。驚くべきは今、目の前でその事態を見ながら、「考える会」を主宰して、「我々は土砂崩れが心配だ」と風力反対運動を繰り返す不思議な現象だ。先日の新聞、和歌山版には、「有田川町で土砂崩れが発生した」と記載されていた。山々に囲まれる二川ダム周辺だからね、土砂崩れくらいあるわな。新聞はすっかり風力側にある。何が何でも土砂崩れかい。お花畑の環境運動家には驚くしかない。
全国各地でやっているメガソーラーの開発でも、土砂崩れ一色になっている。キャ、キャッと言っては喜んでいるのだ。タダの野次馬根性よ。どちらも政治利権があって、政治家によるボロクソな弾圧がある。このホームページを初めから見ると、由良町役場がどれほど風力被害に染まっているか分かる。被害は認めない。いや、被害者に対する弾圧の凄さよ。生贄、血祭りにあげられる。
私は由良町議会で大変な虐待にあったけど、他の被害者たちもそれぞれに大変な暴力や嫌がらせを受けて苦しんでいた。差別地区だからね。笑いものよ。低周波被害などと言ったらもうおしまい。コテンパンにやられてしまう。私なんか裁判にかけられて警察、検察、裁判所と無茶苦茶な目に遭ったものよ。由良町の人や、環境運動家たちは大喜びした。この辺が潮目だったかな。ダメ押しだった。それでもまだこうやって風力被害の酷さを書いている。
もう誰も見向きもしない。下関市とか、愛知県などでは風力裁判は無茶苦茶な結果になっている。同じことだ。まだ私は生きているからね。私を攻撃して喜んでいる連中を見ると、ナチスやな、カルトやな、悪党メ、と彼らの悪意を眺めて楽しんでいる。実際に彼らは被害者を虐待して殺してきた。「ある風車被害者の独白」に書いてある通りだ。2018.1/22日、1/20日、2019.2/7日のページには谷口さんの録音がある。誰も聞かないけどね。うざいんだよ。
嫌悪でしかない。加害者側の論理は地域支配、拒絶、優越感になる。公害の典型だ。よくもこんな悲惨な社会政策が許されるものだよ。風車病、風力被害者になるとロボットの様になる。性格が変わる。元々そんな人だったんやで、と言うけれど、もし風力発電がなかったら平穏無事に、何事も無く暮らしていたはずなのだ。低周波被害と弾圧、何が行われたのか、『風力発電の被害』に書き込んだつもりだ。
大急ぎで書いたから、もっと深い深部まで書き切れていない。風力発電の被害とは何か❓ 国が主導する政策だからね、低周波被害は認めないと書き散らす。自称・反対運動は「土砂崩れが心配です」と繰り返す。心理コントロールの罠だ。低周波被害と弾圧、心理操作、各地の風力地域では、独特な暗い雰囲気を醸し出している。秋田や山形の風車群を見るがよい。ものすごい低周波音の中で人々は笑顔で暮らしている。
音源が大きいから特殊な「音の場」になっている。誰も低周波音を測定しない。誰も気にしないし、被害の「ヒ」の字も言わせない。みんな幸せなんやで。それを日本人たちが見ても何も思わないからね。これが新たな発見かな。いや水俣市や福島の原発被害を見ているからね。蔑視、蔑みでしかない。差別されたらかなわんで。世界中で風力発電は拒否されている。風力被害に対して真剣な、過激な抗議デモが行われている。土砂崩れじゃないよ。
日本人が、いかにおバカさんか分かるだろ。由良町で、私をアホにして喜んでいる人たちを見ると、とても羨ましいかな。私も実際に彼らをアホにしているからね。どちらが、と言うつもりはない。彼らとは価値観が違う。思考、アルゴリズムが違う。それでもな、日本には本当に風力発電の被害に立ち向かう人がいないんだよ。これが残念かな。法律がない? それがどうした。オマエはお花畑でしかない。
しょうもない人を多々見る。自分の考えもなく、自尊心もなく、その日暮らしの生活がある。家畜やで。風力発電の町には真実がない。ウソばかりだ。初めから嘘八百扱いてるんやで。闘おうじゃないか。






