いったいなぜ、日本人は騙され続けるのか。

h23年11月に、風力発電の被害を聞いてから、何が悪いのかを追求、分析してきた。前ページに書いた宇久島の再エネ被害も、元々は全国でやっているキャンペーンと同じパターンになっている。初めて風力被害を発信したのはh18年の東伊豆町や伊方町、その他、様々な地域で被害者たちが抗議の声を上げていた。彼らが取りまとめた被害報告書を見た人もいるだろう。私も見た。全国に風力発電の被害情報が発信されて伝わった。

その筈だったんだがね、由良町では、全く受け入れられることはなかった。周辺の広川町、下津町の被害者もな。哀れなものよ。役場職員や環境運動家、風力業者からアホにされて泣いていた。東伊豆町では、「私たちは風力発電には反対ではありません」と宣言していたからね。風力発電の町! とか言ってね。たくさんの風力被害者が自宅を捨てて逃げ出していた。環境運動家や、町の職員は大喜びよ。仕組まれた罠があった。

今ではその汚いカラクリが明らかにされているけど、誰も非難しないし、死んだり逃げだした人に対しても同情とか、救済の声はない。笑いものよ。全国レベルで数えると、大変な被害者の数になるだろう。どこの役場・行政でも被害を否定している。弾圧も共通している。社会的な強制を加えられると、人は簡単に変心する。サルになったり、カエルにされたりと、これも当初から言われていた現地対策の結果を見ていた。人間とは弱いものだからね。

ドイツの強制収容所の事例は有名でしょ。ゲーテやヘルマンヘッセの文化大国でも、平気で大量虐殺をする。それを「私たちは知らなかったんです」と今も言っている。ウソなのは世界中の人が知っている。知っているのに知らん顔。日本の風力被害者の死や弾圧・追放劇も、みんな知っているんだよ。だから地域を挙げて、みんなで笑いものにして喜んでいる。心理コントロールだ。こんなにも日本人は高揚感をもって、被害者を苛め抜くんだね。

そしてその人が死んだら手を叩いて笑って喜ぶ。終わっているやないか。私は、「風力発電の被害」を日本国中に訴えているけど、誰も聞いてくれないからね。これが不思議な所だよ。世界では、日本だけじゃないか。特殊な、特別な民族性があると見る。由良町だけじゃない。前ページの宇久島なんかその典型だ。これが日本人の姿か、と驚くのは私だけなんか。インターネット記事になって全国に拡散しているから、それなりの意味はあるんだろうけど、誰も【止めろ】なんて言わない。

カネ、カネ、とおねだりするばかりよ。実際は、協力金と言ったって、1万円とか、2万円でしょ。しかも、多く貰える人と、そうでない排除された人がいて、不和・ケンカするように仕組まれている。社会の破壊は、最初からの計画通りだ。協定書を見たら、無茶苦茶書いてあるで。これが役場の正体よ。風力の被害地域は、大体が要らない人々が暮らしている。ジャマなのだ。そこの住民たちがグルグルッと掻き回されてカエルの楽園と化す。

東伊豆町と同じ言葉が繰り返される。「私たちは役場に協力している」とな。暗闇の被害地になり果てているのにそれが分からない。その弾圧風景が面白い。ニュースになるのに、新聞やテレビでは何も伝えない。情報のない所に、洗脳マシーンとなった役場がある。被害地の管理、恐怖と暴行、風力裁判もお楽しみだ。なんとレジャー、娯楽になっている。道理で人々は手を叩いて踊ってみせる。全国の風力地域では有名な逸話だ。

自己崩壊、というより「他人の不幸が面白い」。たとえ自分にも被害があっても、人の苦しみ死んでいく様子が、たまらなく嬉しく思えるらしい。そこには世界各国でやっている「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)なんて考えはない。面白いんだよ。被害者でさえもな。大半の人は被害感もないから、低周波被害といっても受け付けない。私が懸命に、一人一人に話してきたから、それは確かな現実だ。小学生の子供でさえ、面白いと言って笑っている。

価値観が違う。世界常識にはない、日本独自な無感覚人形になった集落を見てきた。たくさんの環境運動家や政治家が見に来たからね。感心、感心。出来上がっているのだった。もはや誰に言っても通じることはない。アメリカ人のエリザベスさんが東伊豆町に住んでいて、同じ言葉を残している。日本人はどうにかしている。だから、という訳だ。政治が悪い。それは日本人の反映でしかない。由良町で見た風力被害は、そのままに全国の風力被害地と同じ有様になっている。

秋田や山形の風力被害を見るがよい。幟旗を立ててお祭りにして喜んでいる。被害はない。自慢なのだ。恐ろしいと思わないか。とても人間だとは思えないのだよ。同じサピエンスじゃない。巨大な風力発電に覆われると、人は、こんなに簡単に作り変えられるのだ。「アホよら、アホよら」と言って踊っているんだろうか。由良町ではそれが当たり前の風景になっている。それが幸せ感というものだろう。なかには被害に苦しみ悔しがっていた人もいた。そんな悔恨も昔話よ。