奇妙な投稿記事

私はあちこちの雑誌に投稿してきたものだ。あまり効果はなかったかな。土木学会誌とか、この致知でも烈しい拒否を喰らった。風力はご法度だという。逆に、コマーシャルは何でも載せるのに、編集者の偏見に憤ったものさ。風力被害はお断り。先日の産経記事(5/30日)の焼き直し記事なんだが、ここではもっと鮮明に心理コントロールが明らかだ。上手いこと書いてある割に、風力被害の「フ」の字もない。

タブーなのだ。カネ、ターゲット、保身、文筆屋としてピカピカの出来やないか。御用学者として、最高の仕上がりに、だまし絵になっている事さえ忘れそうになる。原子力の推進、これしかないんかい。この雑誌自体が企業コマーシャルだからね。何でもアリよ。日本にはダブついたカネがある。電気が余っている。揚水発電、なんて手間のかかるイベントよりも、風力発電の方がカネになる。

ウソでも詐欺でも、誰も手出しできない聖域、自然エネルギー・カルトに落とし込む。この記事を見ると、アルゴリズムを感じないか。まるでAI、人工知能のロジックだ。違和感がある。被害者の苦しみや悲しみ、人間感覚がない。政府のキャンペーンかい、と間違うで。つまりな、初めから指摘されていた環境運動家の怪、闇と同じモノ。再エネと、セットになった心理操作、社会コントロールなのだ。

フクシマの原発被害を忘れたか。それと対になるのがこの男の正体だ。違和感の正体は、誰の目にも分かるんじゃないか。「彼らは何者で、いったい何を目的にしているのか。それを知ることが先決でしょ」。全国でやっている「お花畑」環境運動会の恐ろしい現実だ。風力被害者は勘違いして、助けに来てくれた、と思ったのだ。それらはみんなウソ。初めから被害者潰しと、弾圧政策のスパイ工作員でしかなかったことは見ての通りだ。

日本だけ、「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)の言葉がない。私が不思議に思うのは、どこでも、この事実が全く言葉にされないことだ。「考える会」を指弾する人はいない。地域社会が被害を否定して、被害者を消し去るマジックに、誰も気が付かないというのか。私が、海外の風力反対、抗議デモの事実を見せても、誰も反応しないからね。日本人が、海外の風力反対を受け付けることはない。

催眠術に掛けられている。カルト宗教のようにしか見えないじゃないか。「アホよら、アホよら」と議員が手を叩いて踊っている。地域の人も同じように唱和する。私一人が傍観する。いや、敵視されて追い立てられてきた。「出て行けっ」とな。集団ヒステリーなんだよ。狂気でしかない社会現象になっている。秋田や山形の風車群の中で、人々はとても幸せそうに笑っているでしょ。理由があるんだよ。

私は、由良町は特殊な事情があるから、と思っているけど、実は全国の風力地域でも、同じ有様になっているからね。マニュアル通りの支配が確立している。精神支配。魂を奪われているとしか思えない。低周波被害者でさえな。周囲の被害者が苦しみながら死ぬ。それを見ながら、地域の人たちと一緒に頑張るという。海外の風力反対と、正反対でしょ。真逆なんだよ。追い詰められるとこんな心理状態になる。

人は、虐待すると動物になる。これが面白いという。ヒューマニズム、人間主義の欠片もない。問題の大きさを取り違えてはならない、というかい。アホにされているのに、誰もその欺瞞に気が付かないでいる。この添付記事は、まさにその典型だ。あるいは、風力被害を一切受け付けない、これらの出版社の悪意を見よ。風力の手先でしかないのだった。何度も電話で話したからね。直接話してケンカしたこともある。

皆さん、風力発電だったよ。信者、ファシズム、全体主義というんだろう。完璧にやられていた。事上磨錬という。私の風力批判、被害の訴えも随分ブラッシュアップした。いつしか日本では私一人になっていた。汐見文隆医師もこんな感じだったんだろうね。だから低周波被害者の会を立ち上げて、被害者の救済にたくさんの本を書いた。人も集めた。誰も育たなかったのかい。水俣病でもそうだったからね。

公害は、被害者だけがワリヲ食う。コテンパンだ。私の役柄じゃないんだがな。誰かマトモな議論をしないかい。思考も感性もない日本人が増えている。いや変化して行っている。私はそれを陰謀、策略だと見る。アホになった日本人たち。インデアンやアボリジニと同じ運命かい。違うだろ! 新しい人よ、戦おうぜい。